【改訂版印刷用】空海より現代人へ(2) 大日如来からエル・カンターレへ密教の黎明 | アトランティスからの伝言

アトランティスからの伝言

ご訪問いただきありがとうございます。

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?

 

 

「かごめ唄」の謎解きに関心を抱いたのは、ふた昔ほど前のことだった。

 

このわらべ歌には、妙に心を惹き付ける「何か」があり、その「何か」がわからぬまま十年以上の歳月が経過した

 

その間、あえて深追いをしようとは思わなかったが、何かの些細(ささい)なきっかけを得るたびに、心によぎる「何か」に耳を傾けていたようだ。

 

とにかく、この歌い古されたメロディーと歌詞には強い郷愁を誘うものがあり、そんな想いを抱く回数が重なるに従い、「自分と関係ある、何かとても大切な事物に、今自分が引き合わせようとしているのだな」、と何の根拠もなく確信するようになった。

 

それでも、この不思議な歌を何回歌い返しても、わからないものは、どうあがいてもわからなかった。

 

何かの思い込みに過ぎないのだろうと、こだわりを捨て去ろうとしたことも何回もあった

 

楽譜に起こせばたかだか3行ほどの、あっけない子供の歌である。

 

そんなものに根拠のないノスタルジアを感じてどうするのだ…。

 

きっと子供の頃、友達と散々歌って遊んだ経験から、ただその記憶が残っているだけだとも思おうともした。

 

遠い昔、一方的な片思いだけで終わった初恋の記憶のように、それをなぞろうとしても実体のない陽炎(かげろう)さながらに、追いかけても追いかけてもかすかな残り香が漂うだけだ。

 

そして、そのほのかな香りこそ、自分が追い求めている謎の実体なのだと感じては、霧の中に消えゆく恋人の笑顔の断片を拾い集めようとしている自分がいた。

 

しかし追っても追っても、わからないものはわからない。

 

頭痛がするほど考えに考え抜いても、やはりわからないものはわからない(笑)。

 

今になって思えば、当時の頭の中に、謎を解くキーとなる情報がストックされていなかっただけのことだった。

 

何年かたってある日、何の脈絡もなく「鶴と亀って、星座のことじゃないの?」と感じた

 

かつて70年代のミュージカル「ヘアー」の中の「水瓶座の時代」という有名なフレーズが思い浮かび、これも「カメ」だなと駄洒落を呟いた瞬間、水瓶座の隣の星座が魚座であることに思い至り、魚なら「釣る」なんじゃないの、それって「鶴」??

 

一瞬、自分のひらめきが馬鹿馬鹿しいこじつけに感じ、アホもえーかげんにせいと取り合わない気でいたが、ひょっとして、これって探し求めていたキーワード?と思えてきた

 

太陽と共に昇り、太陽と共にその道を旅し、太陽と共に沈む星座。

 

古代の言い伝えによれば、黄道十二星座のその一つを「太陽を運ぶ星座」と言い慣わされてきたという。

 

一年を四つの分至点に分けると、春分点、夏至点、秋分点、冬至点のそれぞれが足並みをそろえ二千百六十年間にわたって「太陽を運ぶ」星座を定めることになる。

 

何度も書いたが、現在は春分の太陽と共に昇る星座が 魚座」から「水瓶座」へと移り変わろうとしている

 

これが「つる(魚座=釣る)とかめ(水瓶座=かめ)がすべった」の真意に違いない

 

四国の四つの国は、先の四つの分至経線と、その各々が同時に通過する十二星座を示すことに気付いて驚愕すると同時に、自説に揺るぎない確信を抱いた

 

 

「かごめ唄」は、その時に人類共有の宝物が姿を現す、と歌っている

 

関心のある方は、このことをまず日本人の間に拡散してほしい

 

予言が現実化する前に、心ある人たちの間に常識化してほしい

 

それが近未来の日本と世界に、揺るぎない福音をもたらすことになるからだ

 

このブログの存在など忘れられてもよいのだ。

 

 

 

本文は一昨年12月月6日から連載した「空海の手紙(1~26)」を加筆修正したものです。

 

 

 

 

アトランティス」と「かごめ唄」という、まったく異質と思える二つのテーマを、図らずも追わざるを得ない立場に追い込まれてしまった、というのが一連の顛末の感想です。

 

前者はすでに絶版となって久しい、極めて優れた文学作品に再びのスポットライトを当て、音声化をして蘇生化を試みたものです。

 

後者は三十年以上前からずっと気にかかっていた「かごめの歌」について、自分なりに満足のゆく現代的解釈を施してみたいとの思いをブログに綴ったものです。

 

時代も場所も大きく異なる「物語」と「を無理やり統合しようなどとは思いませんが、現実に起こる物事の背後には、これらの出来事を現象として在らしめている、自己をはるかに超越した大いなる意思の存在を感じるのです。

 

それをハイヤーセルフと呼ぼうと、もう一人の自分と呼ぼうと、あるいは精霊や神様と呼ぼうと自由ですが、要は次元の異なる世界に実在する、自分に近しく親しい意識存在が、何らかの示唆を与えているようなのです。

 

その霊的誘導は、私のみならず誰しもが日常的に受けていることですが、そのインスピレーション天啓的な意図の受け止め方にはちょっとした「コツ」があるようです。

 

スピリチュアルの世界では、意識が現実を創造する、とよく言われます。

 

実際にその通りで、以前の記事に書かせていただいたように、私たちは霊的世界と物質界の双方に意識を投影して「遊ぶ」存在で、多次元宇宙の仕組みと摂理を日々探究する物理学者であり、自らの精神分析者でもあるわけです。

 

本来は自由自在な高次の精神世界の住民でありながら、あえて物質次元に肉体という容れ物を得て人の姿をとり、低次の視点から精神次元では当然の諸現象を見つめ直し、霊的認識を深化させる目的で天下(あまくだ)ってきたと言えます。

 

その意味で、毎日の生活の一瞬一瞬は直観による「情報のインプット」と、その応答行動としての「実践というアウトプット」を通して得られる、裏付けのある霊的体験の連続であり繰り返しです。

 

それが、この世に肉体の姿を伴って生きることの目的であり、探究する喜び、発見の感動に満ち溢れた世界が、すべての人の目前に展開されているというのが真実でしょう。

 

ところが現実は不幸と嘆きと絶望が世に満ち溢れ、権力は三権にわたって不法と謀略とタガの外れた物欲が支配して、庶民は生活することで精一杯、精神世界の探求など意識の一端にもかすめない、切羽詰まった極限状態に置かれています。

 

今求められること、それは人々が本来の人間としての探求心を取り戻すことのできる豊かな現実世界の再構築であり、魚座の時代に受けた苦難の記憶の純化と浄化を通した蓄積された智慧の総括個々の意識の再起動が必要とされています。

 

意識が現実を創造するのですから、水瓶座への移行期に際して各人が過去にまつわる心の傷を見つめ、赦しと癒しを信じて新たなる二千年の光の時代に備えるならば、現実の世界は劇的に変化を遂げるに違いありません。

 

それではまた。

 

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

崇神天皇の皇女豊鍬入姫および倭姫による、

二十数社に上る元伊勢神社創建の目的は、

真の元伊勢たる吉佐宮(現在の籠神社)の存在を覆い隠し、

四国に眠る地球皇家の秘宝を

救世主顕現の時代まで無事に庇護する為だった。

(コミック書籍の内容とは関係ありません)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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*** ご 案 内 ***

こんにちは  ご来訪を心より感謝いたします

このブログの管理人 Hiroshi Onishi です

大切な「音のお知らせ」が届きました

消印は紀元前1万年 つまり今から1万2千年前

ものさしを替えればつい昨日のお話です

時空を超えて送られてきた 玉手箱の中を覗いてみませんか

もしかすると太古の記憶が 懐かしく蘇るかもしれませんよ

合成音声全229ファイル 総計85時間33分 1.74GB

試し聞き、フリーダウンロードは下記よりどうぞ…

https://1drv.ms/f/s!Ag2qwP3EqsFdul9P6f2aq134dw8Z

(マイクロソフト社のクラウドサービス  「OneDrive」を利用しています)

お楽しみいただければ幸いです 

 

 

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今回の「コロナ禍」は、民間及びNHKによるフェイクニュース報道の、大衆操作の「威力」の恐ろしさというものを嫌というほど見せつけられました。

 

どうして大衆というものは、これほど欺瞞に溢れ悪意に満ちたニュースメディアにやすやすと乗せられてしまうのでしょうか。

 

新型コロナウィルスそのものよりも、自分たちが騙されてこのような意味のない行動に、国家の大号令の下、唯々諾々(いいだくだく)と羊の群れさながらに盲従している姿こそ、本当に恐れるべき核心だということを学ぶ必要があるように思えます。

 

爆発的感染も医療崩壊も、現在の患者数と感染者推定数の推移では、まず起こりえません。

 

メディアの役割とは正しい現状を民衆に知らせることであり、私利私欲のために恐怖をあおり、社会を大混乱に陥れるためにメディアという影響力の強大なシステムを独占することは、明らかな反社会的犯罪であると断言します。

 

どうかテレビや新聞の報道に踊らされることなく、冷静に、冷徹に現状を見つめてください。

 

この主張文は2020年4月22日付け日記

「♪かーごめかごめ(4)」以来

内容を変えず一貫して説き続けてきたものです。

今後も連続して掲載を続ける所存です。