ことばとおこない | アトランティスからの伝言

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 されど、その発する言葉のとおりに生きている者は、どれほどの数いるというのであろうか。
 汝に問いたい。
 人が、おのれの語る言葉のとおりに生きられぬがゆえに、この世界にはいつまで経っても光は訪れず、罪と悪ばかりが積み重なってしまうのではないだろうか》。



言葉と行いを一致させることは、この世を生きる私たちにとっては限りなく難しく、時と場合によっては全く不可能にも思えるものです。

私も含め、大多数の人々は「本音」と「建前」とを巧みに使い分け、自分の身と立場の安全を守ることを、いつも考慮に入れて社会生活を続けているのではないでしょうか。

殊にビジネスの世界では、うかつに顔に思いを出したりすれば、一瞬にして商談は破棄され、顧客は背を向けて立ち去ってしまいます。

政界・財界の上層部ともなれば、事は傘下の広大な裾野に影響を及ぼしますから、まさに建前だけが全体を取り仕切っていると言えなくもありません。

しかし、これらのことは一種の必要悪とも言え、社会を円滑に運営するためには不可欠な要素には違いありません。

一概に言行の不一致を「悪」と決めつけることはできません。

三次元の物質世界には、他の次元世界にはない独自の自然法則があるからです。

その一例が、心と肉体の乖離による、複数の顔の使い分けができることです。

私も今、表向きは常識円満さを装っておりますが、顕在意識の見えない部分では「トンデモ」思考の持ち主でございます。

常識人が見たら「気は確かか?」と疑われること、必定でございます。

心のキャンバスなりメモ帳には、一応、何を描いても書きとどめてもいいことになっています。

それが、人本来の持って生まれた平等の「自由」というものでしょう。

どれだけ崇高なことを思っても、エッチな妄想にふけっても、ただちに神罰が下ることはありません。

それは自分にしかわからない閉鎖空間であり、まさに一念にして三千宇宙を好き勝手に往来できる、パーソナルタイムマシンだからです。

ただし、空想も妄想も「この世限り」の限定想念であることを忘れては困ります。

この世には、フライトレコーダーの読取器がないだけで、次元の壁を突き抜けたとたん、残念なことに映画館の大型スクリーンに、記録のすべてが一般公開されてしまいます。

それが俗に言う「浄玻璃の鏡」と恐れられる、閻魔庁備え付けの自白システムの本質です。

これには、もはや万人が抗うことが出来ず、言行一致の真正直な自分が、生前に犯した罪を認めざるを得ない立場に追いやります。

言ってみれば、識域下の圧倒的に善意の自己が、偽我の自分を浮き彫りにする「全自動自己法廷」の被告席に、真我の原告である自分自身が立たせる行為に他なりません。

偉人や賢人の美しい言葉を、自分の虚飾に用いるほど、愚かで危険な行為はないと言っていいでしょう。

やがて、言行不一致の真相を、閻魔大王立ち合いの場で細部まで指摘され、「しまった」と気づいた時には遅すぎることになるからです。

口はまさに災いの元なのです。



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