0221小江戸川越/喜多院。 | 渾さんのブログseason2

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夢や瞑想による自分の癒し&成長の記録

続いて喜多院へ。

有名だけど参拝は初めて。

 

北の川越氷川神社から行ったので

成田山川越別院の横を通って。

 

 

雅な道で辿り着いたけど

どうもお寺の正門は別のようなので

赤ポチの正門から入り直した。

東の日枝神社や南の仙波東照宮は

明治期に神仏分離されたとのこと。

 

山門の手前、右に。

 

「慈眼大師」天海さん。

喜多院の27代住職。

 

白山権現。

こちら天台宗なのですが、

天台宗修験道の霊場が白山なのです。

 

中に入って多宝塔。


「星野山 無量寿寺 喜多院」。

慈恵(じえ)堂。

中央に慈恵大師をまつり、
左右に不動明王をまつる。

 

 

喜多院は「川越のお太子さま」と

呼ばれていますが、弘法大師の事ではなく

慈恵大師または元三(がんざん)大師が

通称の僧、良源がご本尊なのです。

 

仏さまや観音さんが

ご本尊でないのは珍しい気がするけど

元三大師は如意輪観音の化身、

生まれ変わりと信仰されているのです。

 

 

何度か栄枯盛衰している寺のようで

Wiki先生によると

 

はじめは平安初期の天長7年(830年)、

淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が

天台宗無量寿寺として阿弥陀如来を

本尊として開創したが戦禍で衰退。

 

鎌倉時代に再興し、

後奈良天皇から「星野山(セイヤ!)」

の勅額を賜るがまた戦禍で衰退。

 

慶長4年(1599年)、

天海僧正が第27世住職として入寺し、

寺号を喜多院と改めた。

川越藩主となった老中・酒井忠俊が

喜多院の再興にあたった。。。

 

残念ながらたどり着いた時間が遅くて。

 

拝観料を納めると見られる名所が

凄くいっぱいあったみたい。

また次回ね。

 

天海僧正の木像が安置されている

慈眼堂へ。

 

パワーありげな^^。

 


ここから東を見下ろすと

美しい鐘楼門が真正面に。

この門、昔は通れたのだろうか?

慈眼堂側は鳥。

 

表側は龍さん。

 

「門札」というのを買ってみた。

 

元三大師は厄除け大師とも言われ

ツノのある姿に変身して

疫病神を追い払うとのこと。

それが右の「角大師」。

 

左の「豆大師」は33体の

観音の化身になったお姿で

正しくは「魔滅(まめ)大師」。

 

この二枚を贅沢に?門や玄関に貼るというもの。

帰宅して開けてみたら大きな紙で驚いたが

幸い我が家の玄関ドアにベストフィット。

これは強そう。。。

 

セラピストさんにいただいた

穴八幡のお塩も振り。

この一年悪いものなんか

入る余地がない!ってかんじ。

 

 

(次は仙波東照宮に行くよ)



資料)

良源の「大師」は私称