2月になった頃、1枚のハガキが届きました。
差出人は全く知らない男性。
しかし宛先は確かに染井。
いぶかりつつ通信面を見ると寒中見舞いの文字と椿の花の絵。
そして小さめの文字が並んでおりました。
時候の挨拶、年賀状へのお礼、そして…。
「昨年12月にいとこのNは亡くなりました」
頭が真っ白になりました。
それは染井が小学1・2年生の時の担任の先生の死亡通知だったのです。
N先生と言えば、1つ忘れられない思い出があります。
2年生の時だったと思います。
クラスメイトのFさんが風邪を引いて具合が悪くなり、保健係だった染井とHさんが保健室に連れて行くことになりました。
N先生は保健係に「Fさんは具合が悪いので戻してしまうかもしれません。その時は先生を呼びに来てください。決して保健室の先生に頼らないように」とおっしゃいました。
保健係の染井とHさんは神妙にうなずき、Fさんを連れて保健室に向かいました。
保健室まであと数歩という所で、Fさんは立ち止まると口元を両手で覆いました。
かたまったまま動こうとしない顔面蒼白なFさんに「…もしかして…吐いちゃった?」と染井が尋ねると、彼女は涙目で小さくうなずきました。
Hさんが「先生を呼びにいこう」と言いましたが、染井は制止して「先生が来るのを待っている間に、Fさんがもう一度吐いたら完全にアウトだよ! もう保健室に入ろう!」と言って保健室に入りました。
保健室の中に洗面台があることを知っていたし、何よりもFさんを手で受けている吐瀉物から一刻も早く解放してあげたいと思ったのです。
呼吸が出来ているのか、わからないし。
もう一度吐いたら今度は手で受けきれず、着ている洋服や廊下を汚す惨劇になりそうでしたし。
保健室に入って状況を説明すると、保健室の先生がFさんを洗面台に連れていき、吐瀉物から解放してくれました。
教室に戻って良いと言われ、Hさんと戻りました。
N先生に「Fさん、戻さなかった?」と聞かれると、即答で「はい、戻してません。」とバックレる染井。
(染井は嘘をついたというより、言わなくても良いことは言わなくて良いんじゃね?的な考え方でした。)
ギョッとするHさん。
しかし彼女は何も言いませんでした。
翌日、N先生に呼び出された保健係。
怖い顔で「Fさん、吐いてたんじゃない! 保健室の先生に聞いたわよ!」と怒られました(笑)
続けて先生は「でもね、Fさんのお母さんから電話があって、保健係の子達にとても感謝しているっておっしゃっていたわ」とも。
恐らくFさんから詳細を聞いたお母さんは、保健係の子達が怒られないように手を打ってくれたのかもしれません。
今の染井ならキチンと詳細を説明出来たのでしょうが、小2の染井は言語障害があったので喋るのが超苦手で引っ込み思案。
(現在は障害もなく、饒舌…とまではいきませんが、人並みに喋ります。ただ、寡黙な期間が長かったせいか、喋る=面倒という感覚なので必要がなければ一日中沈黙していられる変態ではありますw)
しかし家で母親に些細なことで怒鳴られながら育っていたので、口頭で怒られるくらいは屁でもないという微妙にひねくれた子供でもありました。
なので、先生に怒られても柳に風という感じで平気でした。
保健室に連れて行くと決断した時に、先生に怒られる覚悟は出来ていましたし。
ただ巻き添えを食らわしたHさんには申し訳がなかったので(彼女は「先生を呼びに行こう」と言っていたのに止めたわけで)、一言謝ろうとしたらコソッとHさんが囁きました。
「…だって早くなんとかしなかったら、もっと大変なことになってたかもしれないよね?」
染井はうなずきました。
Hさんは染井を責めるどころか、賛同してくれたのです。
ありがたかったです。
N先生、あのね。
嘘をついたり、呼びに行かなかったのは悪かったと思う(せめて保健係の1人がFさんを保健室に運び、もう1人が先生を呼びに行けば良かったのかな?とは思う)けど、あの時の決断を染井は後悔していません。
むしろ胸を張って間違ったことをしていないと言えます。
N先生はきっと染井が困ったことがあるとすぐに泣いちゃうか弱い女の子だったと記憶されていると思いますが、意外と頑固で図太くて土壇場に強い女の子でした。
そこだけは今も変わっていないんですよ。
N先生、あのね。
晩年はお母様の介護で大変だったと思うけど、それでも近所の小学校で子供に絵本の読み聞かせをしているN先生を尊敬していました。
N先生、旦那さんやお母さん、お姉さんに会えましたか?
特に少し前に旅立った旦那さんとは積もる話も沢山あるんだろうな。
あと、ちょうど染井の担任だった頃に飼っていたワンちゃんにも会えたのかな?
洗って干していた上履きをワンちゃんに噛まれて穴が開いたって、困りながらも愛しそうに話していた姿が忘れられません。
N先生。
おやすみなさい、良い夢を。