生暖かかった11月とは打って変わって、冷たい木枯らしの吹きすさぶ肌寒い12月となりました。
管理のために一日おきに寝泊まりに帰る誰も居ない実家はまだ冬支度などしていなかったので、先月下旬からの急激な寒さに慌てて母が使っていたこたつを引っ張り出してきて、暖をとっています。
…そう言えば、もう10年以上も前の冬のある日、母が
「これを見て!」
と言って、実家に帰った私に嬉しそうに誇らしげに見せてくれた、今では割りと一般的なダイニングテーブルの足元を丈の長い布団で覆うタイプのハイタイプこたつ布団。
母がいつの間にかダイニングテーブルにセットしていたので記憶が定かではありませんが、ヒーター付のテーブルを買ったのではなく、元からある小さいダイニングテーブルの足元にやぐらこたつを仕込んで暖めていたのだと思います。
こちらは母がそれを買った翌年からは全く見なくなったので…その事はよく覚えているのですが、おそらく使い勝手があまり良くなかったのかお蔵入りになってしまったようです。
その丈の長いこたつ布団もどこかに仕舞いこんであるのでしょうが、とりあえず今年も部屋の隅に立て掛けてあった母が使っていたロータイプのこたつをセットして寝泊まりに使わせてもらっています。
母は無類の寒がりでしたのでキッチンにストーブ1台、居間にはストーブ2台、トイレにはセラミックヒーター、お風呂の脱衣所には電気ストーブと暖房には抜かりありませんでした。
重ね着枚数も多く、寝床は布団を何枚も重ねて首周りにも毛布などを仕込んで寒くないようにしていました。
勿論、電気毛布は必需品でした。
ストーブの上ではみかんを温めたり、魚の骨を炙ったり、お餅を焼いたり、やかんを乗せて湿度を高めたり…
まあそれは母の見よう見まねで私も同じような事をやっぱりしていたのですが…
冬の母の口癖は
「寒くない?」
でした。
母自身が寒がりなので、嫌がる子どもたちに、
「これを着なさい」
と言っては背後から忍び寄ってきて一枚羽織らせてくれていました。
私などはその母の思いやりを踏みにじるように、折角肩にかけてくれた羽織り物をすぐに脱ぎ捨てては度々母に抵抗していたものです。
ですが、そんな私ですから逆に寒さに弱い母の事を思いやってあげることができず、今思えば弱り始めた母を暖かくしてあげることを怠ってしまい本当に後悔することばかり…
寒い季節の到来は、私の人生にとっては母を寒さで逝かせた死ぬほどの後悔を思い出させる「生き地獄」の季節となってしまいました。
お母さん。
あなたはとてもスリムで昔から痩せていて、真冬はいつも服で着膨れしていないともたないような体質だったんだよね。
それにもかかわらず、暑がりな私はお母さんの体質の事を真剣に考えてあげることができず、こんなにも早く旅立たせてしまったこと、何年経っても後悔してもしてもし尽くせない程の後悔です。
あなたが旅立った天国は、いつでもきっと暖かくて穏やかな世界だと思うので…
あの頃もこれからも暖かい思いやりをいつもありがとう…
ひろちゃんお母さん。