今日は母の誕生日。
生きていれば私のユニークな母は今日から81歳でした。

母の生前、私は母の住む自宅に近い食料品スーパーでほぼ毎年有り合わせの花を買ってきては、ぶっきらぼうに…
「これ👩💐、😏」

と、渡していました。
何しろ私の誕生日の前日が母の誕生日という、奇遇な巡り合わせの親子でしたから…

温和で息子に従順な母には悪かったのですが、むしろ自分の誕生日の前祝いのような感覚で花を買ってきては母に渡して、花瓶にいけてもらっていました。

母は白ゆりをたいそう好んでいましたので、必ず白ゆりは混ぜていました。

その他花持ちのよいスターチスや、母の日に近いのでカーネーション等も毎年の定番だったと思います。

スターチスは本当に色持ちがよく4、5年前に買ってきた紫色のドライフラワーは、今でも自宅玄関に飾られて体裁を整えています・・・

話変わって先日、母が生前たいへん…おそらく親戚筋では一番交流のあったと思われる母の兄嫁に当たる伯母さんが亡くなりました。

その伯母は母の生家に母の実兄の嫁として嫁いでこられましたが、早くにご主人(母の実兄)を亡くされて若くしてお一人でご家族を支えてこられた方でした。

生前の母は、母の実家から車ならそう遠くはないこの母の生家に理由あって頻繁に通っていたものですから、当然この伯母さんとも頻繁に交流があったようです。

私も年に数回は、主にお墓参りのお供に母に連れていかれていましたから、この伯母さんにはとてもご縁を頂いていました。

生きていれば母も参列したかったであろうとの思いを尊重して、お通夜葬儀共に参列することで生前の伯母への私達親子のご恩返しに少しでもなればと思いました。

ところで、喪主である息子さんからの謝辞の中で…

「母は野良仕事をしたその日、自宅の布団で冷たくなっていて…まるで眠っているかのようでした…」というご説明。

これはまさしく、ピンピンコロリ…

母と私がこうありたいね…と、昔よく話し合った理想の逝き方のようでした。

勿論、ご遺族の皆さまはそれでもこの特別な寂しさからは逃れられませんでしょうが、私達親子には叶わなかった理想的な親子の離別のように感じられました。
お母さん。
今日は81歳のお誕生日おめでとう。
生きていれば80歳を越えているだけでも本当に長生きのように感じるけれど…

先日、おそらくお母さんが一番心の拠り所にしていたであろう田舎の伯母さんがお亡くなりになったよ。
お母さんと同じ4月生まれで同じく早くに旦那さんを亡くされていて、私達親子がお墓参り等で立ち寄った時はいつでも快く対応してくれて…

明日はお母さんから私がこの体を授かった日だけど、この体を生きる限りお母さんをなるべく悲しませないように少しでも喜んでもらえるように明日からも頑張って生きていくよ。

もう一度…今日はお誕生日おめでとう。
ひろちゃんお母さん。