長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。長州藩の「田布施一味」とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことを指していて、熊毛郡の田布施町を中心にしている土地が舞台になっています。
田布施は、光市と柳井市に挟まれた寒村ですが・・・
歴史に名を残す そうそうたる人間を輩出しています。

大室寅之祐⇔明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。偉人の簡単なプロフィールをご紹介しましょう・・・

◆ 伊藤博文
熊毛郡束荷村字野尻(現 山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵(後に重蔵)の長男として生まれる。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。
大日本帝国憲法の起草の中心となり、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。

◆ 木戸幸一 
明治の元勲である木戸孝允の妹治子と長州藩士来原良蔵の長男である。
昭和天皇の側近の一人として東條英機を首相に推薦するなど太平洋戦争前後の政治に関与した。敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、 
東京裁判において終身刑となったが後に仮釈放された。

◆ 宮本顕治 
日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから
40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任した。

◆ 河上肇 
日本の経済学者である。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を
行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。
日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。

◆ 難波八助(大助)  
日本の共産主義者で、虎ノ門事件で摂政宮を暗殺しようとした単独の極左    
テロリストである。
    
※ 「虎ノ門事件」とは、1923年12月27日、虎ノ門で裕仁親王を近接狙撃するが失敗、「革命万歳」と叫び逃走を図ったが、激昂した周囲の群衆の暴行を受け、警備の警官に現行犯逮捕された。

◆ 松岡洋右 
日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。

◆ 安倍源基 
日本の内務官僚、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。 

◆ 賀屋興宣 
広島県広島市出身の大蔵官僚、政治家で、1927年(昭和2年)ジュネーブ海軍軍縮会議、1929年(昭和4年)にはロンドン海軍軍縮会議に、それぞれ全権団の随員として参加。 
1937年(昭和12年)には第一次近衛内閣で大蔵大臣となり、
「賀屋財政経済三原則」を発表して日中戦争戦時の予算の途を開いている。
この当時から、石渡荘太郎・青木一男とともに「大蔵省内三羽烏」と
呼ばれるようにもなった。
戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判で終身刑となり、約10年間巣鴨プリズンに服役。

※ 最後に信憑性には疑問がありますが・・・ 
田布施一味の人物紹介の先頭に記している大室寅之祐⇔明治天皇です。
日本には色んなタブーがあって、触れてはいけない問題、話があって、
天皇家の問題は菊のタブーとされた。

大室寅之祐⇔明治天皇がすり替えられたと言う、嘘のような本当のような話です。果たして天皇となる人のすり替えが可能なのか?★ 明治天皇替玉説の検証詳細です。明治天皇は、江戸時代最後の天皇である孝明天皇の子ではない。
孝明天皇は、邪魔になったために長州藩によって毒殺され、
長州の田布施、現在の山口県熊毛郡出身の大室寅之祐が
明治天皇になったというのは以前から言われている。

孝明天皇には、睦仁親王(むつひとしんのう)という息子がいた。
彼もまた殺害された。そして、長州によって大室寅之祐が睦仁親王と
置き換えられ、明治天皇となった。

明治天皇が偽者で替え玉であることは、状況証拠からも判断できる。
孝明天皇の息子の睦仁親王は、体が虚弱で精神的にも弱かった。
しかし、明治天皇は体格が立派で馬に乗るのが大好きだったという。

この説の根拠はいろいろ有るが、信憑性が高いのは、当時の写真、
明治天皇になる前とその後では、明らかに別人である。
誰が撮ったか、合成したかは知る由もありませんが!!!
本物なら信じられない貴重な写真だ。
写真が残っていないとされる西郷隆盛が載っていることや、
若き日の明治天皇や坂本竜馬など世紀の大物が一堂に会している
写真なんてあっていいの?
睦仁親王とは、特徴が全く一致しない。

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