まなブログ

脈の変化でカラダの声を聴く『脈ナビ』による施術、セミナーをご案内しています。
大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。


テーマ:

「考えない」ようにするには?




昨日の記事 でね。


風邪やインフルエンザで寝込んだ時の対処として、


「半眼でボーッとする」


何かにこだわらず、脱力できればね。


気のめぐりもイイですよと。



もちろん、風邪以外でもね。


どんな症状にも有効かと。



特に、「鬱(うつ)病」。



多いですよね。


現代病の代表選手。



父も20年ほど前に一度。


お客さんにも何人か。



特に、組織社会ではね。


鬱になると、人事的に「×」がつく場合が多い。


「打たれ弱い」ってことで。



それまで順調に出世してたのにね。


たまたま反りの合わない上司とめぐり合って。


鬱になって、病休。



復帰しても社内での立場は変わっています。


みんなに気を遣われるしね。


腫れモノに触るように。


ココロの病ってね。


社会的に受け容れられにくいですよね。


心ってハッキリしないもの。



だから、心の病を体験している人にはね。


周囲もどう接していいのかわからない。


ご本人は、自分を責めちゃうしね。



で、心療内科に行くとね。


「脳内のセロトニンの分泌が少なくなっている。」


ってことでね。


そういうお薬をもらうわけです。



この診断に異を唱えるわけではありません。


同じ現象をどういう視点で観るか?


その違いです。




ただ、私ならね。


「セロトニンが不足しているから、鬱になった。」


と云われてもね。


かなり複雑。



あなたのココロの問題ではないんだと。


そう云ってくれてるんだろうけどね。



逆に、ココロに触れることを避けているような。



「あなたが打たれ弱いから、鬱になった。」


と云われるよりは、マシだけど。




では、「気」の視点で。



「鬱」になる方ってね。


ある日、突然、「鬱」にはなりません。


インフルエンザとは違います。



「限界まで思い詰める」


という前提条件があります。



ありますよね、思い詰めること。


四六時中、アタマがそれでいっぱい。


この状態って、気力を消耗すると思いません?



それが続けばね。


どんどん電池の残量が減っていきます。



ある日、限界に達して、


「もう電池が空っぽ寸前です。」


ってなったらね。


カラダは、どうするでしょう?



「強制的に停止させる」


のではないかと。


「考える」ことを。



何もやる気がなくなって。


ボーッとしてしまうのは、そのため。


自衛手段ではないでしょうか?



つまり、鬱とは、「充電期間」なわけです。


「考えられる」気力が復活したらね。


「強制停止」が解除されるのでしょう。



でも、根本的な課題として。


例え、復活してもね。


「また、同じことを繰り返し考え続ける」


ってことです。



再び思い詰めるとね。


アタマの回転が止まらなくなる。


オーバーヒート寸前。


これが「躁(そう)」状態。



だから、「鬱」と「躁」を行ったり来たり。


繰り返すことが多いですよね。



「陽極まれば陰になり、陰極まれば陽になる。」



「気力」の増減という観点では。


他のことで気力を消耗していたらね。


それだけで、電池の残量が低下。



そこで、思い詰めたらね。


さらに、「鬱」になりやすいですよね。



セロトニンの働きを高める予防策として、


・適度な運動


・太陽光を浴びる


・規則正しい生活


などが挙げられています。



云わば、「正気を補う」行為ですね。


いつも電池が満タンに近ければね。


鬱にもなりにくいと。



でも、厳しく追い込められるとね。


急激に消耗しちゃいますよね。



その要因のひとつとして、


「葛藤」


が挙げられます。



「Aか、Bか?」


で板挟み。



これについてはね。


過去記事の「スタバへ行こう 」とかね。


最近の「中庸」に関する記事をどうぞ。



選択肢が「2つ」だと対立、緊張を生みますからね。


それらを発展的に統合した「第三の場」を見出す。



そのためには、視点の軸をシフト。


「曖昧」


がキーワードでしたね。



で、もうひとつの要因としてね。


「アタマに過剰電流が流れている」


ってこと。



「考え過ぎ」


ですね。



そう云われるとね。


「何も考えないようにしなければ」


って、頑張ってしまわれるんですよね。


一生懸命に(笑)



座禅の極意にね。


「非思量(ひしりょう)」


って言葉があります。



言い換えると、


「不思量底を思量す」


となり、直訳すると、


「考えないことを考える」


になります。



これ、禅問答のひとつ。


先日の記事 で禅問答に興味を持ってね。


ちょっと何冊か眼を通しました。



著者によって、解釈が違ってね。



「考えながらも執着にとらわれない状態」



っていうのがメジャー。


昨日の記事と同じでしょ。



で、こちらの著者はね。


「問い」から始まる仏教


著:南直哉 佼成出版社 1,470円



「考える」ことから「感じる」ことへ。


意識をシフトすることであると。



そのとっかかりとしてね。


聴覚がオススメですよと。



視覚は、対象を自分と隔てて働く。


自己と非自己を明らかにする。



その点、聴覚は受容的な感覚だと。


「聞き入れる」とか、「聞き取る」とかね。



- 以下、抜粋のうえ要約 -



拾えるだけの音を拾う。


しかし、それが何の音かと判断しない。


ただ、聴く。



次第に音の対象性が曖昧になる。


音を聴いているよりも、聴いていることを聴く感覚に。


これをさらに、聴覚から皮膚感覚、内臓感覚へと意識を引きこんでいく。



すると、皮膚によって外部から区切られるはずの体の境界面の感覚がぼやけ、


体の内側・外側の区別がはっきりしない感じになる。



この状態のどこが「自分」で、どこまでを「自分の」と呼んでいいのか、判断できない。


この感覚を得られるのは、座禅だけでない。


試合中のサッカー選手、崖を登っているロッククライマーなど。



彼らは無意識でも忘我状態でもない。


きわめてクリアに状況を把握しているだろう。


しかし、自分とボール、自分と崖との関係は、もはや明瞭に区別できない。


この時、「考える前に体が動く」「体が考える」状態だろう。



- 以上 -



この一節にね。


激しく同意です(笑)



施術で気を通す時もね。


同じ感覚を体験します。



自他の境界線が曖昧になる。


カラダが溶けていくような。


で、相手だけなく、周囲と融合する感覚。



いちおう、意識はあります。


でも、融合する感覚を広げれば広げるほどね。


希薄になっていくんです。



小難しいことをグダグダ考えられなくなる。



鬱の方には、イイかんじでしょ。



私の名刺にはね。


「感じるリハビリ」


って『脈ナビ』のコピーを。



まさに、シフトですね。


「考える」ことから「感じる」ことへの。




おさらいしますね。



「考える」と「考えない」


2つの選択肢。



それらを発展的に統合する第三の選択肢。


ひとつが


「半眼半心」。


昨日の記事ですね。



もうひとつが


「感じるにシフトする」



どちらもアリかと。


選択肢は、ひとつではないですからね。



それぞれを導き出すキーワード。


ひとつめが、


「曖昧」


Aでもなく、Bでもなく。


Aでもあり、Bでもある。



もうひとつが、


「階層をシフトし、対極と調和させる。」



「考える」か、「考えない」。


「思考の世界」に閉じこもっていた視点をね。


ひとつ上の階層へシフト。


「思考」の対極である「感覚」と調和させました。




さて、あなたの葛藤は?




今宵は、このあたりで。



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