本当に辛い出来事や、多忙過ぎる日々は記憶を失うと言います。
私もそうで、地元高知での23年間のうつ病生活は、波乱過ぎた上にうつ病を患っていた為、記憶がほぼないのです。
幼い息子もいたのに、自分のことで精一杯なのに、息子との二人の生活も同時スタートでした。
綺麗好きだった私は、うつ病患者とは思えないような部屋で生活しており、ある友達が来た時は、モデルルームに来ているみたい!!と、家具もお洒落にして綺麗にしていたのですが・・・・
それが、いけなかったんですよね。
うつ病で動けないのに、無理して動いて掃除していたんですね…
それが、重くなって…
寝たきりでも、息子の世話以上に汚れが気になるようになり、大きな冷蔵庫の上とか、窓ガラスが少し汚れているとか、細かい部分まで気になって、うわーっ!!となって入院したことを覚えています。
病名は、重症神経症、と言うものでした。
うつ病と重症神経症と2つの治療が同時進行して行きました。
あとは、断片的にしか記憶がありません。
起き上がれる日もあれば、何日も何日も寝ているだけの日々もありました。
正直、食事の記憶がないのです。
どうやって、息子に食べさせていたんだろう?と…
とにかく、辛い、普通に戻りたい、と毎日思っていて、無理もしていたと思います。
息子がいるのですから…
だから、寛解まで遅くなったのかも知れません。
私が知っているシングルマザーのうつ病の方は、頼れる方に預けっぱなしか、施設に入れているか、でした。
私も、実母に頼ったこともありましたが、実母は運転免許証を持っていなく、凄い田舎に住んでいたので、来てもらうのも大変でした。
でも、金銭面では、ずっと助けて頂いており、精神面だけではなく、全面的にサポートしてくれていました。今は亡き母には感謝してもしきれません。
こうやって、文章に起こすと、結構覚えているものですね。
でも23年は、長い・・・・。
無事、次男の息子も高校を卒業しました。
23年の間、辛いことが圧倒的に多かった私ですが、これも経験だと思うようにしています。
出来れば、平凡でいい…
普通の奥さんでいたかったな…
私の大事な時間、年月を鬱に費やしましたが、色々なものを失いもしましたが、鬱の方々に少しでも寄り添え、理解出来る人間になっただけでも、成長出来たかな、と思っております。
ありがとうございます