私の大事な時間を鬱に費やした年月 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


本当に辛い出来事や、多忙過ぎる日々は記憶を失うと言います。

私もそうで、地元高知での23年間のうつ病生活は、波乱過ぎた上にうつ病を患っていた為、記憶がほぼないのです。

幼い息子もいたのに、自分のことで精一杯なのに、息子との二人の生活も同時スタートでした。

綺麗好きだった私は、うつ病患者とは思えないような部屋で生活しており、ある友達が来た時は、モデルルームに来ているみたい!!と、家具もお洒落にして綺麗にしていたのですが・・・・

それが、いけなかったんですよね。

うつ病で動けないのに、無理して動いて掃除していたんですね…

それが、重くなって…

寝たきりでも、息子の世話以上に汚れが気になるようになり、大きな冷蔵庫の上とか、窓ガラスが少し汚れているとか、細かい部分まで気になって、うわーっ!!となって入院したことを覚えています。

病名は、重症神経症、と言うものでした。

うつ病と重症神経症と2つの治療が同時進行して行きました。

あとは、断片的にしか記憶がありません。

起き上がれる日もあれば、何日も何日も寝ているだけの日々もありました。

正直、食事の記憶がないのです。

どうやって、息子に食べさせていたんだろう?と…

とにかく、辛い、普通に戻りたい、と毎日思っていて、無理もしていたと思います。

息子がいるのですから…

だから、寛解まで遅くなったのかも知れません。

私が知っているシングルマザーのうつ病の方は、頼れる方に預けっぱなしか、施設に入れているか、でした。

私も、実母に頼ったこともありましたが、実母は運転免許証を持っていなく、凄い田舎に住んでいたので、来てもらうのも大変でした。

でも、金銭面では、ずっと助けて頂いており、精神面だけではなく、全面的にサポートしてくれていました。今は亡き母には感謝してもしきれません。


こうやって、文章に起こすと、結構覚えているものですね。

でも23年は、長い・・・・。

無事、次男の息子も高校を卒業しました。

23年の間、辛いことが圧倒的に多かった私ですが、これも経験だと思うようにしています。

出来れば、平凡でいい…

普通の奥さんでいたかったな…

私の大事な時間、年月を鬱に費やしましたが、色々なものを失いもしましたが、鬱の方々に少しでも寄り添え、理解出来る人間になっただけでも、成長出来たかな、と思っております。


ありがとうございますスター