最近、土偶にハマってしまいました。
よく埴輪と混同されがちな土偶ですが、まず時代が全然違う。土偶は縄文時代。埴輪はそのあとの弥生時代のこれまたあとの古墳時代。埴輪は古墳時代の400年間しかつくられていないけれど、土偶は縄文時代ずっと、1万年に渡ってつくられていた。


1万年ずっと!
ブレなさすぎ!


土偶との出会いは4月の函館。先日ゲスト出演した吉幾三さんと北海道を旅する番組『いくぞ~!北の出会い旅』のロケにて。南茅部町に北海道唯一の国宝があると聞き見に行ったらあったのが中空土偶だった。ものものしいショーケース、ピンスポットにあてられて、その土偶は凛と起立していた。伸びた背筋に比べて表情が絶妙、冴えない男子高校生みたいな顔だと思った。これが唯一の国宝…!国宝の自覚があるんだかないんだか、そのマイペースな表情が忘れられなくて、土偶が少し気になる存在になっていった。考えてみたら、土偶ってなんなんだ。という感じ。


東京に帰り、なんとなく土偶の絵を描いたり(最初の画像:腕組み土偶)、土偶の写真集をアマゾンで買ったりして過ごした。まだ、ハマるというほどじゃない。数年前に土偶展なるものが開催されていたらしい。行きたかった。調べてみるといま一度にいちばんたくさんの土偶をみることができるのは上野・東京国立博物館らしい。パンダに会いに行くついでにみてくることにした。


(いちばん有名な"遮光器土偶"のスタンプ)



ここには、誰もが土偶と聞いて最初に思い浮かべる「遮光器土偶」がある。ドラえもんの映画『のび太の日本誕生』に出てくるギガゾンビの手下、ツチダマ様と言ったらわかる人もいるかもしれない。あれ、子供心にめちゃくちゃ怖かった。多分、埴輪にはあの役割は無理だと思う。土偶だから怖かった。土偶にはそんな力がある。


インフォメーションセンターで「遮光器土偶はどこですか」と聞き、お姉さんに平成館ですよと教えてもらう。ちなみに、平成館にだいたいの土器はそろっているけれど、「ハート型土偶」だけは本館の2階にあるので注意。


ついに遮光器土偶と対面。鳥肌が立った。あやうく涙がでそうになった。体長40cmほどだけれど、放つ生命力がすごい。圧倒的だ。あ、ハマった、と思った。

考古学の展示では、縄文時代から弥生時代、古墳時代へというふうに、時代順に土器が並べられていた。縄文土器と弥生土器は全然違った。弥生以降の土器はアッサリしすぎている。埴輪の表情も土偶に負けないくらいユニークだけど、どこか狙った感じを受ける。その点、土偶をはじめとした縄文土器の迫力はすごい。無駄な飾りも多く、命がめらめらに燃えている感じがする。みているだけで元気が湧いてくる、それが縄文土器。


(遮光器土偶のブローチ)




縄文と弥生、なにがそんなに違うのか。いちばん大きいのは、狩猟生活のマインドか、稲作生活のマインドか、ということ。ちなみに現代に生きるわたしたちのマインドは経済生活を軸にしたもの。もちろん天候に左右されるとはいえ、がんばればがんばるほど食べ物が採れる稲作文化に比べて、獲物がとれるかどうかが生きるか死ぬかになってくる狩猟文化はかなりきびしい。そんな厳しい時代を生き抜くために、土偶は、狩猟がうまくいきますように、子孫が繁栄しますように、といった願いをこめた祈りの人形だという見解が主流らしい。人形と言っても人間離れした変なデザインが多いのは、人間ではないなにものか(神、精霊)が表現されているとも考えられている。(人をモチーフにしたものもある。)生への切実な願いが込められているからこそ、時を越えて縄文土器や土偶にグっとくるのだと思った。






ちなみに、1万5千年前もの土器が残っているのは世界中で日本列島だけらしい。これもすごい。1万年続いた縄文マインド。1万年の切なる想い。これが土偶ロマンなのだなあ。土偶に会いに全国遺跡めぐりもしてみたい。




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踊りました!