総本山塔頭の寂日坊で起こった小笠原学会青年部の辻との押し問答はその後も続きました。
(本住坊に滞在していた小笠原はなぜかその時は寂日坊にいた)
 

このやり取りをじっと見ていた男子部長の牛田がついにシビレを切らせた。
 

『問答無用!衣を脱いでもらいましょう!脱がなければ脱がせてあげます!』
 

次の瞬間、作戦参謀の龍年光が叫んだ。
『担げ!』
 

待機していた龍部隊のメンバー4人がズカズカと入ってくると、あっと言う間に小笠原を担ぎ上げた。
 

『何をするんじゃ!何をするんじゃ!年寄りをどうするんじゃ!』
 

小笠原は声を上げて抵抗するが、龍部隊の屈強な男子部員に手足を押さえられ身動きできない。
 

それを見ていた一般信徒たちは逃げ出し、一緒にいた僧侶たちは、ただただ呆然と見ているだけだった。
 

龍部隊の4人は小笠原を担ぎ上げ坊の外に出た。
 

そこに理境坊から戸田会長が出てきた。
 

『待て!騒ぐな!元に戻せ!』
 

戸田はいったん小笠原を坊内に戻し、畳の上に座らせるとこう話しかけた。
 

『小笠原さん、神本仏迹論を謝罪しなさい!』
 

小笠原のほうも興奮がおさまらない。
 

『お前たちは何をするんじゃ!話なら話を聞くようにしたらよかろう!』
 

すると
 

『生意気を言うな小笠原!』と言って戸田会長の右手が飛んできた。
 

その手は小笠原の左側頭部を打ち、それを合図にその場にいた多数の青年部が寄ってタカって殴る蹴るの暴行を働く。
 

そして小笠原が後ろに倒れると戸田が、『命は惜しゅうないか!』と聞く、

小笠原は「不惜身命!」と叫ぶ。
 

すると青年部たちが『先生の前に足を出すとは不届きだ!』と襟首をつかんで引き起し、

『衣服をぬがしてしまえ』と衣服を引きむしり、肌着一枚の裸にされる。
 

その拍子に懐から物(信徒から預かった御供養)が落ちると、

それを見た戸田会長が『それはこちらで預かる』と言う。
 

小笠原が『お前たちは追いはぎか!強盗か!』と言い返すと

戸田の哲拳がもう一発飛んできて今度は右側頭部を強打する。
(小笠原が翌々日医師に診てもらうと内出血しており、全治4週間の診断が下される)
 

『神本仏迹であろうが、何であろうが信教自由である、

汝等に制裁を受けるいわれはない、新憲法はそれを保証している!』と叫ぶ。
 

小笠原はますます自暴自棄になり『殺してくれ!どうでもしろ!』と叫び続ける。

教育参謀の石田次男が証拠として用意してきた「中外日報」の記事(神本仏迹論)を読み上げ、

戸田は尚も小笠原を責め続けるが小笠原はガンとして謝らない。
 

最後に戸田が『そこまで頑張るならあとは知りませんぞ!

青年部がどうしようと私の手にはおえませんぞ!今のうちに謝りなさい!』
 

しかし小笠原は絶対に謝らない。
 

戸田会長はさじを投げ、いよいよ“狸祭り”の幕が切って落とされた。

 

当時の戸田城聖、左が池田大作(3代会長)

右が秋谷(5代会長) 右端が北条浩(4代会長)