先日、大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。

 

私が生まれた時から今まで、ずっと可愛がってくれました。

 

中学生・高校生の頃はよくお母さんと喧嘩していて、そのたび仲裁に入ってくれて

ごはんが家にないときはおばあちゃん家に行って好きなものを

食べさせてもらったり、うちにこっそり差し入れしてくれたりしてました。

 

高2でなぜかお母さんがお弁当を作ってくれなくなり、

週3~4はおばあちゃんがお弁当を作ってくれて

朝、家の最寄り駅まで届けてくれました。

 

おばあちゃんは体が壊れるまでずっと働いていました。

働いた理由は、私と他3人の孫に使うためでした。

趣味はなく、自分が働いたお金を孫たちに使うことが楽しみだ、

と言っていたそうです。

 

私が通学用の交通費を使い込んだとき、借金したとき、

ディズニーランドや旅行に行くとき、一緒に買い物に行ったとき、

何にもないときでもおばあちゃんはずっと援助してくれていました。

 

私に嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれて、

悲しいことがあれば一緒に悲しんでくれて、

悔しいことや辛いことは一緒に悩んでくれて、

おばあちゃん自身の体はボロボロなのに

会うといつもニコニコして「会いにきてくれてありがとう」と言ってくれました。

 

学校行事は必ず見に来てくれて、出かけるときはいつも私たちの

行きたいところへ連れて行ってくれて、仕事で疲れているのに

いつも尽くしてくれました。

 

一時期、お母さんと私が大喧嘩して家を出ておばあちゃん家に

住まわせてもらいました。

朝は起こしてくれて、朝ごはん食べさせてくれて、お弁当持たせてくれて、

仕事に向かい、帰ってくると私の使っていた布団は綺麗に畳んでありました。

夜ごはんとお風呂も準備してくれています。

もちろんおばあちゃんも仕事へ行って、

私より少し早めに帰ってきているぐらいなのに

仕事で疲れているはずなのに、何から何までやってもらっていました。

 

「大変だから洗い物するよ」とたまに声をかけても、

体が痛いとき以外は「大丈夫だよ、ありがとうね」と言って

全部やってくれました。

 

私がたまにごはんを作り食べてもらうと何でも「おいしい」と言ってくれました。

失敗したものでも「おいしいよ?もう食べ終わっちゃったよ」と笑ってくれました。

「お姉さんの作るものは何でもおいしい」と言ってくれました。

 

子供の頃、料理をしてみたくて本屋さんに行って当時3チャンネルで放映されていた

子供向け料理番組の本を買ってもらいました。

それを読んで自分も何か作ってみたかったけど、家ではやらせてもらえず

週末になるとおばあちゃん家に行くのでおばあちゃんに相談してみたら

本を一緒に見ながら「何を作ろうか~?」と言って、わかめうどんを一緒に作らせてもらいました。

まだ6歳ぐらいだったので記憶はほとんどないけど、台所に立って一緒に作業をしたことは覚えています。

 

正直、ここまで孫想いのおばあちゃんはあんまりいないと思います。

自慢のおばあちゃんでした。

 

おばあちゃんともっと色んなところへ行ったり、おいしいごはんを食べさせたり、

もっと一緒に過ごしたかった、とおばあちゃんを失って後悔があふれてきました。

 

今回、おばあちゃんが亡くなったことで色々学んだことがあります。

次の投稿に書きます。