2018年8月31日

 過日,私のブログに対するBさんのコメントに次のように書かれていた。

「私が通った当時の国民学校では,夏休みの前まで4年生以上の生徒はマサカリを担ぎ,鋸を手に山に登って,太い松の根っこを掘り出す勤労奉仕が続きました。怪我をする生徒も出て子供にはきつい作業でした」。

私の疎開先の学校では,強制的労働は課されなかったが,それでも戦争のために何もしなかったわけではない。

例えば二つばかり例を挙げる。

・もち草集め

 もち草はあちこちにいくらでも生えていたので,大量に集めるのはそれほど難しいことではなかった。

・桑の木の皮を剥ぐ

 親戚の家で蚕を飼っていたので,蚕が葉を食べ終わった桑の木はいくらでもあった。それを束にして川に放り込んでおいて皮を柔らかくし,2本の棒の間に強く挟んでしごくと,1mから1m50センチほどのきれいな皮が取れた。そのまま丈夫な紐として使えるようなものだった。

 学校に持っていく量は別に決められていなかったし,持って行った量も誰がどれぐらいと記録されることもなく,講堂に持ち込むだけだった。それなのに講堂にはかなりの量が積み上げられた。皆それぞれに頑張ったようである。

 労働と言うようなものではなく,ある意味では楽しんで,出来るだけ多く集めようとしたのである。Bさんたちの勤労奉仕を思うと,申し訳なく思う。

 もち草は戦場での薬や虫よけ,桑の皮は軍服の繊維として使われたようである。