先日のお休みの日

珍しく通院も無く一日中遊べそうなんで

久々に靖國神社様にご挨拶しに行こうと思っていたんですが

朝になったら昼頃にちょっとの雑用が入ってしまい諦めました

疫病外出自粛 緊急事態になってからは

たまの休みなのに

ひばりヶ丘二郎→田無神社→丸八製麵所→吉祥寺いせやの

ルーチンになっていて だいぶ飽きてきていたんで

なんとか いつもと違う休日を過ごしたかったんですけどねえ

 

ひばりヶ丘二郎 小ラーメン

結局いつものようにひばりヶ丘に向かいましたあw

11:30の開店時間に到着

毎度のように前倒し営業されていたようで

20人程の行列 40分で入店

今日も安定の美味しさ

特に麺が好みの ちょいと柔めでもちもちプリプリで

優勝~でしたねえ

やっぱり飽きないなあ

助手さんに来週 疫病ワクチン打つから

来週は欠席ね~てな話から ワクチン談義に

市内の病院は月末には ワクチンが行きわたるみたいだから

調べてみたら~って言ったら

「私65歳に まだなってないw!」

って・・・・ (; ̄Д ̄)ですよねえ~ww

申し訳ございませ~んwて お詫びして帰りましたw

ごちそーさまあ~\(・×・)/

 

尉殿神社 様

時間があったんで

田無神社様に行く途中 寄り道をしてみました

二郎から自転車で10分位なんでね

住宅街に囲まれていますけど

かなり長い参道ですね

長い参道の途中に道路が横ぎっています

切れ目のところに狛犬さんが

台座の裏に大正十三年(1924年)八月奉納石工名不詳と
台座が高めなんでスマホを高く上げて撮りました

暗く写ったんでかなり明るく補正をしました

鼻の下にちょびヒゲがあるんだねえ オジサン顔ですねえ

子供は小狸みたいで可愛いね
 

バナナマン?でしたっけ?お笑いの人みたいw

調布の布多天神社様の鬼太郎狛犬にも似てますねえ

 

尉殿神社の由緒(じょうどの じんじゃ)

御祭神 級長戸編命(しなつひこのみこと)

尉殿神社は永正2年(1505)の創建と社伝されますが

当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた

谷戸地区の宮山に鎮座しており尉殿大権現と称しておりました

尉殿神社は旧社号を尉殿権現と言い

古くから上保谷村(現西東京市内)の総鎮守社であった

創建当初 尉殿権現は宮山(現在の西東京市谷戸町付近)にあったが

(創建と言っても小さな祠レベルだったとか)

1622年(元和8年)に上保谷(現在地の近く)の尉殿権現に分祀された

1646年に田無の尉殿権現(現田無神社)に宮山の本体が移された)

大元の宮山の尉殿権現の創建について

上保谷地区の伝承では建長年間(1249年 - 1256年)

田無地区の伝承では正応年間(1288年 - 1292年)と残されている

 

全面扉で正面がガラス戸のちょっと変わった正面

中はよく見えないですねえ

 

他ではあまり見かけない尉殿神社(ジョードノ)は水の神様で龍神様

御祭神の級長戸編命は風の神様なんで

昔からあまり耕作に適さない西東京エリアならではの神社様なんでしようかねえ

 

元々宮山のあったところは谷戸町と現在でもある町名ですが

谷戸と言えばだいたい谷筋 窪地 湧水地につける地名のようで

村内の数少ない湧き水の場所に龍神様の祠を立てたことが始まりのようですね

変わった名前のジョードノ=水は

西洋のジョウロから伝わったとの説もあるようで??

ほんとかなあ・・・

 

以前もブログで書いたことがある話ですけど

周辺の某農家さんの自宅敷地内の祠の神様が今でも現役バリバリで

家主さんが敷地内で祠を移動したいのだが?と

伺いを立てたら「いやだ!」と速攻拒否られたとか

楽しいお話ですけど

その神様もどうやら尉殿様のようですねえ

 

まあ うちの親しくしているご近所の屋敷内のお稲荷さんも

現役バリバリでちょっと粗相をするとすぐに

バチを当ててくれるようで 

疑いも無く ありがちなお話ですよねえw

 

 

近年落雷でご神木が枯れ

群馬の神社様から新たな ご神木を頂き育てているようですね

警告板がありますけど

最近 ご神木や拝殿周りに塩をまく ふらち者が出没したようで

警戒中との事でした

良かれと思って行動しているのか?

分かりませんけど迷惑ですねえ

多分境内のどこかには監視カメラとかがありそうで

面倒くさい世の中ですわねえ

 

拝殿裏の祠様

赤い祠はお稲荷さんかな?と思いながらお詣りしたら

扉が半開きだったんで

ちょっと開けてのぞいてみたら

中には何も祀られていないのに

お供え品らしきもの?が数点

それと 

表面に何やら いろいろ文字が書かれた香典袋がありました?

なにやらと確認したい気持ちが沸き上がったけどw

怖いからそっと扉を閉めましたあ

ラーメンを食べた後にお邪魔して一服したんですけど

広々とした境内には日陰も無くちょっと汗が引かなかったなあ

30分程の滞在中3名の地元らしき方が日参参拝されただけの

静かな神社さまでした

現在は田無神社の兼務社となっているようです

 

田無神社様にお邪魔しました

田無神社様のご神木

尉殿神社様から自転車で10分ちょっとで到着しました

少名毘古那神(すくなびこなのかみ)様

いつも病気平癒のお願いをさせて頂いています

黒龍様

いつもとは違った角度から撮らせて頂きました

この日は一応すべての摂社末社に参拝しましたけど

サラッとお暇しました

滞在30分程の間に30人位の参拝者がいました

やっぱり人気神社様ですねえ

 

西窪稲荷神社様

、社号    稲荷神社
祭神    倉稲魂命

武蔵野市緑町 五日市街道に面した神社様です

バス停の前でいつもバスの中から気になっていたんで

時間のある今回 初めてお邪魔してみました

両部鳥居なんですね しかも2基も

珍しいなあと調べてみたら

元々はお隣の源正寺様との関連があるんですねえ

山号    稲荷山源正寺 だそうです

両部鳥居は神仏習合時代を残すと言われているんで

まさにこちらもそういう事なんですね

 

いつもバスの車内から見ていただけなんで

予想外に広々とした境内に驚きました

道路沿いなのに明るく静かな境内でした

全面格子戸でちょっと変わった拝殿ですねえ

 

なかなか強そうなお狐様ですね

狛犬さんて あんまり高い位置だとお顔がよく見えないんで

残念ですねえ

武蔵野市近辺では有名な話なんですけど

この周辺の西久保地区は明暦の大火(1657)振袖火事後の

江戸 西久保城山町(現港区)の住民が幕府の命で集団移転して来て

区画が均等な土地を割り振られたため

東京では珍しいマス目上の道路と新田開拓がおこなわれたんですね

その時に住民と一緒に鎮守社としてこの地に遷座したと言われています

西久保 西窪 の違いは・・・忘れましたw

拝殿向かって左側にある摂社末社?が2社

鳥居の扁額には三社と書かれていましたが

なにも解説板のようなものがありませんでした

三社といえば・・・

ウカノミタマ サタヒコ オオミヤノメ の

稲荷三神のことなのかな?

でも本殿 倉稲魂命の横にあるのも不思議ですよねえ

もしかして?本殿プラス摂社末社2社で3社なのかも??

 

鳥居の中にお邪魔して お詣りしましたけど

お狐様がいっぱいおられたんで写真は撮りませんでした

身体におしるしのようなものは頂けませんでしたけど

拒否られた感じもしなかったんで

またお邪魔しさせて頂こうかなと

左手の道は一般路に繋がっているようで

時々境内を通り抜ける人通りがありました

こちらでは

有形文化財の35枚の絵馬が有名だとか

他には 境内には町内の数基のお神輿の庫がありました

社務所も開かれてはいないようで御朱印頒布もなさそうですね

 

吉祥寺いせや総本店で水分補給w

結局今回も ひばりヶ丘二郎→いせやになってしまったあw

あらら? お飲み物メニューが一新していたよw

で アルコールフリーを頼んだんですけどね

実はノンアルコールビールってダメなんですよねえ

なんか酔わないからか? 口の中と頭の中が混乱するみたいで

葬祭等でもウーロン茶一択だったっけw

 

快晴の中 自転車で長距離おさんぽしたんで

冷たいものが旨かったなあ

結局今回も炭酸割でw

ノンアルコールがサッパリと薄まってOKでしたあ

 

実は緊急事態からの自粛が始まってから

体重が2Kも増量してしまって

週3回の外呑みから毎晩自宅で夕食をとるようになったら

少なめに意識してても がっつり食べちゃうよねえ

今回 自転車散歩で少しは身体をつかえたかなあ?

 

今回もおなかいっぱいでドリンク飲むためだけに

わざわざ吉祥寺まで出向くこともないんだけどね

カウンターには先客1名

ガラガラのカウンターから道路の風景を眺めるだけで

やっぱり落ち着くなあ

井の頭公園からの風も気持ちよかったしねえ

 

スタッフと1週間ぶりのご挨拶

みんな ヒマそうだけど元気で良かったね~

ドリンクのみじゃ悪いから

家族の夕飯用に焼き物のお土産を買って

30分位で帰りましたあ

まあ 好い休日でしたねえw

 

長々とご覧いただき有難うございましたm(__)m