「猟銃 闘牛」 井上靖

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生きているだけで

そこにいるだけで

いいのに

ひとは

自分の人生に意味を
持たせようとする。

かく言う僕も
そうだけど。


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今回は
井上靖の「猟銃・闘牛」を読んだ。

写真が横向きになって
しまった。

猟銃
闘牛
比良のシャクナゲ
の三編からなる短編集。

とくに
猟銃は
著者の処女作。

巻末の最後に
解説の人が書いていたが

小説としてはまだ
荒削りだが
面白い、と。

僕には
荒削りな部分はわからないが

面白いことは
確かにそう思う。

ググっと
物語に引き込まれるのを
読んでいて感じた。


三編の物語に共通なことは

主人公の3人は
自分が生きたいように
生きたのに

孤独を抱えている。


生きたいように
生きたゆえに
孤独を抱えるように
なってしまったと言うほうが
良いかもしれない。


自分の人生を
実のあるものにしようと
するのは良いが

自分の思いばかりを
先行させる生き方は


周囲との
精神的な隔絶が起こる。

男性に多いように思う。


長年、それが続き
ふと周りを
見渡してみると

虚無的な風景が
広がっている。

そこで
ハタと立ち止まり
自分の生き方を
見直す力のある人は
いいけども

そうならない人もいる。

男性に多いように思う。


客観的には
それを孤独と言うが

本人は
孤独とは思っていないケースも
多い。

ますます
周りの者は
バカだと
排他的になる。

自分が孤独なことを
認めることは
恐怖だから。


その恐怖は
絶望感につながることを
無意識は
わかっているから。



周りに気遣い
息をひそめるように
生きるのも
辛いことだが


自分ひとりだけを
実のある人生にしようと
もがくのも
考えものである。


周りの人と
協調しましょうと
薄っぺらいことを
言いたいのではない。


自分だけの
一回こっきりの人生を
本当の
本当の
本当に
実のあるものにすることは


自分を捨てて
時間の無駄遣いだと
思えるような時を過ごす
必要もあると言う
矛盾を生きることだろう。



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