間が開きました


なかなか更新できません


石川県被災地に
災害ボランティア活動に
行ってきました

ここには詳しい事書けませんが

復興への道は
まだまだ遠いです

わたし自身
色々情報を集めて
被災地のイメージを持って
活動に参加しましたが

実際
自分の五感で知った現実は
想像とは
かけ離れていました

わたしの活動場所は
能登半島の中でも最北端

幹線道路も限られていて
そこが遮断されている間は
全ての往来が出来ないわけで

車で通った往復路は
道路ごと何メートルも陥没したり
応急的な補装(鉄板もあり)の
箇所も沢山ありました

その為
車は上下左右に大幅に揺れて
車酔いする人も何人か出ました


陥没した道路を通る時

次に又大きな地震がきたら
今度こそこの道は
寸断されてしまうんだろうな

そんな場所が幾つもありました


活動に入らせていただいたお宅は
大きな農家さんでした
老夫婦で農家を営んで
みえたのだと思います

被災した日のままの
小屋の中には
お米や野菜、果物など
そのままになっていました

虫が湧いて
かびが生え土ホコリに
覆われて
処分するしかありませんでした
それらの作物や
家財道具
全てを分別して
ゴミ処理場に捨てる活動でした


おじいさんは
もう全部捨ててくれ‼️と
半分投げやりになり
おばあさんは
せめてその◯◯だけは残して
ください
と涙ぐまれ

二人とも
申し訳なさそうに
すみませんね
ありがとうございます
と頭を下げてみえました

隣県から来ている娘さんも
この先
年老いたご両親と被災した実家
どうしてよいのか
分かりないと
汗と涙で
ぐしゃぐしゃになった目をして
おっしゃってみえました

被災された当事者や
その家族の方々は
わたし達には
想像もつかない
心労を
長期的に受け

それでも
なお
生きしのいでいく方法を
見つけていかなくては
いけないのです

側から見ると
気の毒などと
安易に口に出したり
思ってしまいがちですが

人間は
強いものなのだと思いました
年齢関係なく
生きる事が
まず大前提

今を生きしのぎ
明日を生きる

災害が比較的少ない地域に住む
わたしや仲間達は
何と
しあわせなんだうね
感謝しなくちゃね
と言葉にしながら

わたしは心の中で
一方的な勝手な
捉え方だけど

こうして
このタイミングで
貴重な体験をさせてもらえた事に
きっと何かしらの意味がある
と思える人生にしなきゃな
そう思いながら
帰ってきました




ボランティアに行く3日前
旦那と揉めていました



全く口をきいていなかったので
このまま出かけようと思いましたが

出かける前日の夜

2日留守にします
よろしくお願いします

と自然と口にしていました

旦那は無言だったと思います



そして翌朝 出発当日

気をつけて
頑張って

とだけ
顔も見ずに
ボソッと言って
出勤して行きました


2日間の活動を終え
深夜に帰ってくると

玄関からリビングまで
荷物を運んでくれました

お疲れ様
どうだった?
何か食べる?


少し驚きました

現地の話を簡単にして
(画像は家族LINEに送って
いたので)

その日は寝ました


翌日も
わたしは
別のボランティアで出かけるので
洗濯物を干し
化粧をしていると
旦那が起きてきて

ご苦労様でした

なんか食べた?
ご飯炊くの迷って
レンチンご飯なら
買ってきてあるよ

多分洗濯物干した事への
ご苦労様ではなく
ボランティア活動への
労いだったんだと
思います

昨日も言われたのに
また
改めて?
どうした?
え?わたしの
ご飯の事なんか
気にしてくれてるの?

それって
いつもは
わたしの役割なのに


内心思いましたが

黙っておきました


この日のボランティア活動

帰るのが
夕方になるから
夕ご飯は何か買って帰るか
外に食べに行くかで
お願いします
と言って
家を出ました


活動が終わって帰る頃

おかん達(お義母さん、お義姉さん)と
鰻でも食べに行こうと思う
直接店に来れる?

と電話がきました

連日のボランティアで
正直
家に帰って寝たい所でしたが

せっかくなので

旦那達と合流

美味しい鰻重を
ごちそうになりました

食べ始めた時

この時期は鰻食べて
乗り切らなきゃね
やっぱり
鰻は美味しいね

と義姉が言うと


隣に座った旦那が

疲れたまってるんやもんな

とわたしに言ってきました

義姉が
え?どう言う事?
と聞いてきたので
被災地に行ってきた
話をしました

鰻が
疲れた胃腸に重いなと
思って箸が進まなかったのですが


そっか
お義母さんに
精をつけてもらうのも
あったんだろうけど
わたしの為に
鰻にしてくたんだな


こんな事くらいと
思われるかもしれませんが

もしかすると
わたし
旦那に大事にされてるのかな
ボランティア活動に行く事
心配しながら
大変だったんだなと
認めてくれてたのかな

と暖かい気持ちになり

無理して
鰻重を食べました


こんな気持ちを持てたのも

ボランティア活動に行ったから
なのでしょうね

わたしの心も
いつまでも
同じ場所に留まっていては
いけない



被災地のみなさん
どうか
暑い夏を何とか
乗り切ってください