正直、この頃、生きるという意味が深い意味でわからなくなってきています。

問題の始まりはTPPによる農業の危機ということで、農業や動物達について勉強すればするほど、人間の罪深さを突きつけられるからです。

前にも書きましたが、牛は、雄は生まれたら肉牛として育てられる運命にあり、雌は子牛を生んだ後は、飼い殺しの運命にあります。

搾乳によって寿命は縮まり、動けなくなれば殺処分の現実があります。

もっと問題なのは、殺処分する際に生きたまま、殺され、ベーコンになったり、ペットの餌として使われたりするのです。

せめて、気絶させてからにすればいいのにと思わずにはいられません。

養鶏場では、毎日・毎日、鶏が死んでいきます。

病気ならともかく、鶏を同じところに入れてるために、強い鶏と弱い鶏によって餌を食べることができずに死んでいくのです。

人間の手でつくりだした弱肉強食なのです。

放し飼いにして飼っていたら、十年~ニ十年は鶏は生きることができます。

それが、養鶏場だともし死ななかったとしても、二年で生きながら殺されてしまうのです。

人間はそうやって生き延びているのです。

人間は食べる時、そんな動物の姿を想像しないでしょう。

結局、世の中は弱肉強食何ですよね。

人間の存在意義って何でしょう?

作物も動物も、生きていたのです。

それが、人間の食べ物に変わってしまう。

人間に何の権利があるのか?

永久の矛盾ですね。

命の大事さは人間も動物も変わりません。

なのにそういうことが、起こってしまっている。

どうして、世の中はこうまで矛盾だらけなのでしょう。

生きる意味の難しさは、まさにそこに原点としてあるのかもしれません。

命は大切と言うのは、簡単ですが、こういうことを考えてると偽善にしか見えなくなっていく。

本当に難しいですね。

熊だって、人間が木を切り餌が無くなってしまったから、でてきてしまうんです。

全ては人間自身の責任なのです。

人間が生きるとは何なんでしょうね。

何か、虚しさばかりしか、この頃、感じなくなってきてます。