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国のため
ひとよつらぬき 尽くしたる
きみまた去りぬ
さびしと思ふ

(出光佐三逝く 三月七日)
 
冒頭の先帝陛下の大御歌(おおみうた)は胸をうちます。
昭和五十六年(皇紀二千六百四十一年)激動の時代を駆け抜け、御国に尽くした佐三翁が辞世されました。そして先帝、昭和天皇は冒頭の大御歌を詠まれました。
先帝陛下と出光興産店主佐三翁に個人的な親交があったわけではなく、御国の為に尽くした佐三翁を先帝陛下が認められたのです。
この大御歌は佐三翁らに象徴・代表される日本を素晴らしい国にするため、身命惜しまず働いて、働いて、働きぬいた日本人全員、明治人・大正人全員に向けられた大御歌ではなかったでしょうか?
百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」は出光興産店主佐三翁がモデルとなっています。十二月十日に公開されます。同胞を思い、国を思い、人を尊重した日本人の生き様が描かれています。混迷を極める平成日本に一石を投じてほしいと筆者は願ってやまないのです。
 
昭和の国難と言われた大東亜戦争。
先帝陛下の「ご聖断」で終戦となったその2日後の昭和20年8月17日、佐三翁は社員20名を前に次のように訓示します。
 
 
「愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」
「泣き言をやめ、日本の偉大なる国民性を信じ、再建の道を進もうではないか!」
 
さらに「海外から引き揚げてくる社員は一人もクビにしない!」と宣言しました。
当時の出光の全従業員数は、約一千名、約800名が、外地からの復員者でした。
終戦前の出光興産は満鉄を経由して朝鮮、台湾に進出し、さらにシナ事変の拡大と共に、シナ本土が拠点でした。
外地で力を伸ばした企業が、その外地の販路をすべて失い、資産もなく、事業もなく、膨大な借金が残っただけだったそうです。
出光興産は、復員者してくる社員のクビを切らないため、ありとあらゆることをやりました。
ラジオも売り、醤油も売り、酢も売り、畜産や養鶏、思いつく限りのことに手を出し復員してくる社員の為に頑張りました。
勿論、佐三翁も私財はおろか借金までして、給料を払い続けました。


 
「海賊とよばれた男」のモデル 日章丸事件の主人公 出光佐三 1/2
 
 
 
 
 

昭28年3月、出光興産は、石油を国有化し英国と抗争中のイランへ、日章丸二世を極秘裏に差し向けました。同船は、ガソリン、軽油約2万2千キロℓを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港しました。
これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。この「日章丸事件」は、法廷で争われることになりました。裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となりました。イラン石油の輸入は、その後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、昭31年に終了しました。
しかし、この「事件」は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた「快挙」として受け止められたことも歴史的事実です。

昭和56年、出光佐三翁は波乱万丈の生涯を辞世されました。
佐三を支え続けた側近の一人石田正實は、安らかに眠る佐三の横顔を見ながら、

「この人は、生涯ただの一度も私に『金を儲けろ』とは言われなかった。
40年を越える長い付き合いだったのに……」と呟いて落涙したそうです。
出光佐三翁は生涯、「社長」でも「会長」でもなく「出光商会」の一介の「店主」を押し通されました。

晩年、出光佐三翁は次のように語られています。
 
 
「私は70年にわたって事業を営んできたが、その根底を成したのは終始 一貫して人間の尊重、人間本位のやりかたを貫いたことにある。本来、日本人は金銭のためにのみ働くのではなく、どの民族にもみられぬ協和の精神を持ってい る。この美徳が敗戦によってぶち壊され、今の世の中は金のみがすべてという風潮になり下がっておる。戦争前にもそんな輩(やから)はウヨウヨいたが、そん な連中はしょせん一時の徒花(あだばな)、長く続くものではない。出光が志向したことは、事業人として、また出光人として、この乱れた世の中に清廉の花を 咲かす。それを体現することにより、国家社会に大いなる示唆を与えたい・・・自分の一生はそのためにあったようなものです」
出光興産のモットーは、「人間尊重」「大家族主義」「黄金の奴隷たるな
かれ」「生産者から消費者へ」である。
 出光佐三は常々語られています。
 
「君達、店員を何と思っておるのか。店員と会社は一つだ。家計が苦
しいからと家族を追い出すようなことができるか。事業は飛び借金
は残ったが、会社を支えるのは人だ。これが唯一の資本であり今後
の事業を作る。人を大切にせずして何をしようというのか」
 
 
現在の日本はどうでしょうか。会社が社員を育てるという習慣は廃れています。会社は使いたいときに使いたい人数だけを派遣社員として雇い、新卒には即戦力になる人材を求めています。佐三翁が理念にしていた会社像とは正反対の社会になってきているといえるでしょう。
会社は、ひとつの家族。地域も家族。国家も家族。
それが日本流の考え方です。
かって日本の企業はほとんどが終身雇用でした。
かっての日本企業は今日と違い、逞しく、頼もしい限りでした。
そして、その終身雇用、家族主義が奇跡と言われた焦土からの戦後復興を成し遂げ、経済大国と言われるまでに押し上げたのです。
当時の人々は有無もなしにただひたすらに働きました。
企業は、資本家(無産階級)と労働者(有産階級)の闘争の場である、と説いているのは、共産主義です。


経営者が(CEO)と称して巨利を得、景気が悪くなると生産調整と称して簡単にクビを切るのが、外国の企業であり、今日の日本企業の多くもこれを追従している有様です。
日本の流儀は違います。
日本人にとって、会社は「家族」です。

欧米の資本主義でもない。共産主義でもない。
古来より、日本の商家の考え方は、「社員は家族」という考え方です。
暖簾分けなどはその最もたる証左です。

なにごとも欧米かぶれ、追従するのではなく、わが国の先人に学ぶべきです。日本人は日本人であるべきです。
佐三翁が唱えられた、世界無比の三千年の歴史を見直し、誇るべきです。
 
 
出光興産本社が入居する帝劇ビル
 
 
佐三翁は皇室を篤く崇敬されていました。現在出光興産の本社は、皇居の見える丸の内にあり、佐三翁は皇居を遙拝しておられたといいます。
また佐三翁の郷里の氏神である宗像神社が祭られています。ご祭神は国民の祖神といわれる格の高い神様で、神宮(天照大神)の3人のお姫さまをおまつりしてある。そこに「天孫(あめみま)を助け奉って天孫に祭(いつ)かれよ」というご神勅がある。これは「皇室を助けて皇室にまつられよ」という意味です。
佐三翁は常に御国を念頭におかれ、ご神勅を守られた。
「日本人にかえれ。」
これは、
佐三翁のことばです。

日本人が古くから大切にしてきた和の精神・互譲互助の精神、自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにことを成すことが求められています。
今、佐三翁は提唱され続けられてきた日本人にかえる秋です。
「やまとたましい」をもった日本人がいるから「日本」なのです。
 
 
天皇彌榮(すめらぎいやさか)