2002年から2007年までの5年間を能登で過ごしていた。
「能登」という地名はアイヌ語の岬(not)を語源とする説がある。
その半島は自然に恵まれ、海岸近くまでせり出した山麓に沿う形で小さな集落を形成する。家屋は潮風から守る板壁に黒い屋根瓦が軒を連ね、晴れた日には艶やかな光を放つ。日本の原風景という言葉がピタリとはまり、これまでに出会った風景の中でも心に深く残るものの一つである。
海や里山などから得る産業が多く、輪島塗・珠洲焼など素朴で優れた工芸品も多い。
加賀友禅で作られた「花嫁のれん」は、新婦側の家で用意され、婚礼の当日嫁ぎ先の仏間の入り口に掛けられる。花嫁さんは、そののれんをくぐって仏様に手を合わせてから挙式に臨むという文化がある。「真宗王国」と称される如く多くの住民が浄土真宗の門徒である。
2007年3月25日、最大震度6強となった能登半島地震が発生した。過去に地震の少なかった石川県で震度6を記録した初めての地震であった。
その前夜、引っ越しのために5年間住み慣れた七尾市を、多くの方に見送られて出発し、新たな赴任先である大分県まで1,000キロの道のりを妻と共にマーチを走らせていた。
地震はその最中の出来事で、引っ越しを知らせていなかった友人から次々と安否確認の電話が鳴った。後ろ髪をひかれる思いで車を西に走らせたのを闡明に覚えている。
地震の翌月能登に向かい、被害の大きかった寺院を6カ所、レンタカーで回った。古く大きな木造本堂に入ると、大きく傾いた柱や壁によって平行感覚が麻痺するほどの状況であった。
その後2020年12月頃を起点とする群発地震が発生した。
2021年9月16日の地震では最大震度5弱、2022年6月19日には同6弱、2023年5月5日には同6強を観測した。いずれも最大震度は珠洲市。
2007年の地震の際、見舞いに訪れた寺の住職と昨年札幌で再会した。
あの地震の後、7年の歳月と巨額の費用を掛けて本堂の建て起こし修理を行った。しかし、その地は消滅可能性都市である。修復を振り返って「果たして直して良かったのか。と今でも自問する」とおっしゃっていた。
その能登で1月1日、これまでの規模を大きく上回る地震が起きた。
お世話になった何人もの顔を思い浮かべた。昨年お会いした住職の寺院本堂も壊滅的な被害を受けたとの報告があった。
報道によって被害状況がわかるにつれ、よく知っている町の変わり果てた姿に心を痛めた。
報道される全ての町を知っている。能登にある大谷派寺院は353ヶ寺。その多くの寺は、寺院名でなく在所(地区)の名前で呼び合う。だから報道される殆どの地区の名を知っている。
そして、そこに伺いそこで採れた食物をご馳走として頂いてきた。
よく知っている方も亡くなった。安否不明者リストにも、お世話になった方の名前が数人ある。
被災地を知らせるテレビ報道で「今一番困っている事は」とのインタビューに、被災された男性は「多くの支援を頂き感謝しかない」と答えた。暫く間をおいて「水がなくて困っている」と隣にいた女性が重い口を開けた。
自らの大変な状況を訴えるよりも支援への感謝を述べる男性。「能登はやさしや土までも」という言葉を思い起こした。
復興という言葉を簡単に使えない過疎地の厳しい状況がある。
しかし、であるからこそ継続した支援を必要としている。
私は、今出来うる限りの支援を札幌で行う。
時期が来たら、能登の地を訪れたい。