カフェ・プリマベーラ | 散歩道

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メタバースの耀姫様のカフェ・プリマベーラの入り口に、テレポーターが設置されている。
行き先は、紀州の山中をマッピングした場所のようだが、
特定できないように、現実のマップと一致しない地形を用意してCG化したという。

卍構えと呼ばれる強固な石積み技法を用いた、コケが生えた切り石で出来た洞窟があった。
巫女が洞窟に籠って神降ろしして神託を賜る、
高句麗国由来の東盟祭を踏襲した、隧穴信仰用の地下神殿を忠実に再現したものだという。
神殿の名前を案内の人に尋ねたところ、
トンカラリンです、と当たり前すぎる既知の答えが返ってきた。
天帝(トンカリ)君主(リン)は東明聖王のことだから、
東盟祭の祭祀施設は、トンカラリン以外に相応しい呼び方がないのだろう。

九州で最大のトンカラリン遺跡は、入り口の高さが7メートルあるが、
紀州のものは、人(アバター)が一人入れるかどうかの狭さで、岩戸が塞いでいた。

入り口の前には、人が乗って神楽を舞うための石舞台があった。

巫女は、この場所でトランス状態になるための神楽を舞い、隧穴に入って神降ろしを行い、
東明聖王と心身一体の状態になって、岩戸から出て来て、人々に託宣を下すのだという。
なんのことはない、天岩戸開きの神事を行う宗教施設のことだった。
見回すと、飾り付けもすべて、天岩戸伝説に記されている構成になっていた。

トンカラリンは、天岩戸伝説として伝わる東盟祭の祭祀施設、がファイナル・アンサー。
しかし、隧穴と隧木の関係については、凄くエッチな説明があり、
「高句麗の風俗は淫」とされた理由が分かる気がした。
天岩戸の前で、天鈿女神がストリップショーをした、という神話は事実ではないと、
耀姫様はツイッターに書いていたが、それよりもっと凄い内容の、
男神と女神のピー(擬音です)について、詳細に解説されていた。
良い子の皆様には見せられない内容のため、非公開神事になっていることが分かった。
日本@名無史さん ID: 2012/08/07



807
1 年前
>>799
多氏が伝える古の統一倭国の大王の昔話には、
倭国王帥生なんて名前は出てこなかったと思う。

この大王は、英彦山に天壇を建てて、天子として天に祈った、
といった大袈裟すぎる話だから、中国の皇帝に貢物を捧げた話とズレがあって、
ピンと来てなかった。

この、天に祈る祭りを実行するには、
国が一つに統一されて、長期間安定して治められている必要があるらしい。

英彦その他、多氏の伝承に出て来る大王の名前と、
倭国王帥生では、名前が一致しない。

今も英彦山に祀られていた痕跡が残るらしいけど、
あなたは、中国の皇帝と肩を並べる天子として振る舞った伝説上の統一倭国の大王が、
倭国王帥生と同一人物と推理できる材料を持っているの?
高天原の ID: 2012/08/06 09:49




685
1 年前
神籠石山城は、後世増築されていて、
渡来当時のものがどうだったか、分かりにくくなっているが、
高句麗国の山城とかなり似た、特徴ある石組みのモノが現にある。

トンカラリン遺跡については、当代の耀姫様が、
同形式の地下神殿が紀州にもあって、
今も神事で使っている、そうだから、
高句麗道教由来の巫女神道(皇室神道)の遺跡と見ていいだろう。

新嘗祭と土坑の関係は、纏向遺跡の発掘が明らかにしてくれた。

天智天皇が唐・新羅連合軍の九州への侵攻に備えて築いた城と、
大陸式の神籠石山城は、様式が異なっているため、
同じ王朝のモノとは思えない。
大和の王朝の歴史を記した記紀に登場しない神籠石山城は、
その規模から言っても、九州の倭国が築いたものだったと見るしかない。
日本@名無史さん ID: 2012/08/04




659
1 年前
面白いのは、二本角の兜がトレードマークの牛神・天之日矛(スサノオ)は、
山東・遼東半島の八旗の神の一柱、蚩尤(兵主)とも習合していて、
神功皇后・応神王朝絡みで、八幡の神にもなっていること。
神仏混淆で牛頭天王に置き換えられ、祇園祭の神として今も盛んに信仰されている。
このような変化は、天之日矛神が辿った二千年以上の歴史の長さを物語っている。

皇室の最重要神事、新嘗祭は、
纏向遺跡の真東の山に鎮座した、穴師座兵主神社と繋がりを持っている。
この神社に、古い時代は天之日矛が祀られていたことが分かっている。
纏向遺跡の土坑には、今日、新嘗祭で使われるのと同じものが、ひととおり捨ててあった。
お祭りが終わると穴に投げ込む風習が、祭祀形態の変化を辿る手掛かりを残してくれた。
高句麗国の東盟際の隧穴(大地母神のホトの象徴)と同じものが纏向遺跡にあり、
多くの収穫物が得られたことを神に感謝し、来年も多産の年であることを祈る新嘗祭は、
もともと隧穴を用いて行われていたと見て良い状況にある。

高句麗王室の血を引くとされる、多氏の巫女神道の家では、
現在も、九州のトンカラリン遺跡の石組みと同じ系統の、地下神殿(隧穴)を用いて、
紀州の山中で古式の新嘗祭を行っているらしい。
非公開神事なので、直接列席して見学できないものの、
以前、セカンドライフと呼ばれるメタバース上のバーチャル神社で、
東盟際の詳細な内容に関する講義が、伝承されてきた所作などを交えて行われた。
残念だが、高句麗語の祝詞などはヒアリングが困難だったが、
新嘗祭へと変化していく流れを、発掘された遺物のレプリカを用いて、
順に辿っていく作業は、丁寧で見事だった。

日本@名無史さん ID: 2012/08/04 19:59
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