どうしてもこの日を忘れることは出来ない。
2011年4月22時 午前0時。
3月11日に起きた地震、そして津波。
翌12日に起きた東京電力福島第一原子力発電所の水素爆発。
崩れた町に、流された町に、燃えた町に
残されたヒトもどうぶつも居る中で、すぐに戻れると思い避難したヒトたちは、見えないモノに阻まれて、戻る機会を喪ったまま、4月22日午前0時に、見えない線が引かれた。
警戒区域 発令。
どうぶつたちにとっての地獄の日々が始まった。
あたしが初めてその警戒区域と呼ばれた場所に立ち入ったのは4月19日。
ようやく仕事の調整が出来、ヒトのボランティアに行ってみたけれど、ヒトひとりのチカラのちいささに嘆き、ペットレスキューをしようと決めて、ある団体の呼びかけに応じ、常磐道のいわき中央インターでの待ち合わせに向かった。
出来る限りの水を持ってきて、と言われ、ちいさなハッチバックの車に実家の付近のHCを回り買い集めたポリタンク27個に満タンに水を汲み、車を発進させたら驚くほどにスピードが出なかったことを覚えてる。
放射能の影響も、地割れや陥没で道がどうなっているかもわからぬまま、いわき中央インター手前の路側帯で車を停めて外に出て、零れ落ちそうな星空を見ながら、前年の秋に亡くなった父に、守ってね。とお願いしたことも覚えてる。
待ち合わせ場所に着き、十何台の車に乗って集まったヒトたちと馬や牛用の餌を水で捏ね、隊列を作って崩れた道を走り、途中で道路が無くなっている箇所を迂回して国道に戻ったりする中で、追い縋ってくる犬たちを見かける度に車が停まり、給餌するのを見ては涙が溢れた。
無力感に襲われた。
ヒトひとりで出来ることが無さ過ぎることに呆然とした。
他の方たちが犬猫保護の依頼でレスキューに向かい、雨が降る中で牛舎に残り、必死にやれることをやろうとしたけれど、巨大な牛を数人のチカラで立ち上がらせることは出来なくて、一緒に作業をしていた群馬から来た獣医さんたちと途方に暮れて餌小屋にへたり込んでいたら、出逢った二頭の犬が居た。
無邪気に甘えてくる犬たち。
なんか食べさせてとねだってくる。
車に積んでたフードやおやつをあげたら貪るように食べてはすぐに吐いていた。
犬なんて数えるほどしか触ったことは無かったけど、湿った身体を抱きしめながら、流れる涙を止められなかった。
その日のレスキューが終わり、解散場所のいわき方面の保健所の駐車場で、警戒区域の発令が近いことを知った。
東京に戻る道すがら、涙が止まらず何度も途中のサービスエリアに立ち寄って、涙を止めて息を整えて、また車を走らせるのだけど、どうしてもその二頭の犬が忘れられなかった。
抱きしめてしまった手の感触を、毛の感触を、゛どうしても忘れられなかった。
東京に戻り自宅に着いて、うちの猫たちにおやつをあげて、シャワーを浴びていたら罪悪感に襲われた。
風呂場で泣き崩れ、少しの間立ち上がることが出来ず、その間も頭はグルグル回り、何度も自分の無謀な考えを打ち消そうとしてみたけれど、どうしても諦められなかったから、シャワーを浴びてから多めにご飯やお水を置いて、うちの子たちにごめんと詫びながら、近所のドンキに向かい、リードを二本と首輪を二本。
そして唯一売ってた大き目のソフトケージや、たくさんのドッグフードやペットボトルを買い込んで、車に積み込みそのまま福島にまた車を走らせた。
保護したらどうすれば良いのかも、何ひとつ術は知らなかったのに。
ただ、身体が動いた。
自分で自分を止められなかった。
浜通りに着いて、その頃はまだ簡易だった検問で嘘をつき、中に入ったら、数百メートル走ったところで、車を追いかけてくるちいさな柴犬系の犬が居て、車を停めたら立ち上がり縋るその子におやつとお水をあげようとしても、あたしから離れてくれなくて、車に戻りリードを取り出し、震える手で首輪にリードをかけた。
二頭分しか買ってこなかったのに…。
だけど置いていくことは出来なかった。
どうするかは後から考えるしかない…と思い、その子を組み立てたソフトキャリーに入れて、車を発進させた。
前日の記憶を辿りながら、車を走らせてみたけれど、途中で記憶が朧気になって、落ち着いて考えようとしていた時に、今はもう無くなってしまった双葉町の原発推進のアーケードの下で、犬を保護しようとしている女性が二人いるのを見つけ、車から降りて少し眺めていたら、向こうも気がついてくれて。
話してみたら東京から来たという。
どうしても保護したい犬がいるのと言ったら、当てがあって来た訳じゃないから、一緒に行動しましょうと言ってくれて、何度も道に迷いながら、昨日の牛舎に辿り着いた。
昨日起こしてあげられなかった牛の他にも、アスファルトの上で新たに倒れてしまった牛が居た。
女三人では牛の体重になど太刀打ち出来ないことは分かってた。
餌小屋から藁を運び、牛の頭が動く場所に出来るだけの藁を運んでいたら、女性たちも無言で手伝ってくれた。
山ほどの藁を運び終えてから、ワンワンと犬の鳴き真似をしてみたら、どこからともなく昨日の二頭が現れて、安堵で崩れそうになる身体を必死に止めながら、残る一本のリードと、女性たちから貰ったリードを、首輪に、着けた。
犬の行き先は確保出来ますと言ってくれた女性たちに頭を下げて、三頭の犬を託し、その場で別れてみたけれど、帰ろうとして走っていたら、ヘッドライトに移る犬の影…ヨロヨロと歩くダックスフンド。
どうしたらいいの…とダックスを抱き上げ、さっき交換していた電話番号にかけてみたら、向こうでも同じ状況で、きっとなんとか出来るから!と言ってくれる声に押され、その子を車に乗せて、また車を走らせると、今度はビーグル系の犬の姿がヘッドライトに映し出された。
車を停めておいでと声をかけたら、猛烈な勢いで腕の中に飛び込んできた。
頭の中は真っ白だった。
なにも考えられなかった。
そしてまた車を走らせていたら、窓を閉めているのに聞こえた絶叫のような犬の叫び声。
もう暗くなってて、電気は無いから、真っ暗な中を懐中電灯で照らしながら、声の出処を探したら、ちょっと向かってきてはやっぱり戻り、でもまた向かってくるジャックラッセル系のちいさなわんこと、隠れながらも必死に吠えてるコーギー系のわんこも居て。
口に咥えた電灯の灯りで追いかけ必死に捕まえて、リードもなんにも無いからそのまま車に乗せて。
待ち合わせをした那須のサービスエリアで、女性たちと落ち合ってみたら、先方も数頭の犬を連れていた。
その日帰るのは諦めて、翌日南相馬に引き受けてくれる団体さんが来てくれるから、と、車中泊をして、女性たちからリードを貰い、全員のお散歩をしてご飯をあげて仮眠して。
翌日、南相馬まで向かう道は、車内は言葉通りの阿鼻叫喚…。
下痢、嘔吐、失禁…。
ソフトケージは破られ、ヨダレ塗れの犬が運転席までやってくる…。
自衛隊の車しか見ない峠道を、何度も停まりながら、必死で車を走らせた。
引き受けてくれた大阪の団体に、相双保健所でスクリーニングをしてお預けして。
翌日には仕事があったから、急いで戻らなければならないあたしの代わりに、保護した場所を伝えたら、女性たちが貼り紙をしに行ってくれることになり、感謝しながら東京へと戻った。
東京が近づいてくると、高速から見える煌々と電気の点いた家々が、刹那さだけを増幅させて、もう、涙を止めることが出来なかった。
忘れられなかった。
車の前に飛び出してきたけど、逃げてしまった犬たちが。
辛い顔で倒れたままの牛が。
遠くから聞こえた犬の声が。
忘れられなかった。
だから、今、あたしはここに居る。
忘れられない気持ちを止めることが出来ず、出来ることなどほんの僅かだったのに、諦めることが出来なかったから。
警戒区域が発令され、簡易だった検問は強固なものに変わっても、なんとかして立ち入り、保護を続ける中で、死というものを見たくないほど見てしまったから。
向き合うことが出来ない程の骸を見てしまったから。
だから今もあたしはここに居る。
東京を捨てた。
仕事を捨てた。
友人を捨てた。
それまでの二十数年を脱ぎ捨てた。
ほんの数人の心から愛しい友人しか、あたしの今を知らない。
でも、それでも、そうしてでも、もう喪われるいのちを見たくなかった。
守りたかった。
だから、今も、これからも、終わりが見えるその時まで、あたしは、きっと、ここに居る。
よしえさん。
ビッケちゃん。
あなたたちが居なければ、今、あたしはここに居なかった。
あの日あの時出逢えた奇跡に感謝します。
ヒトが引いた線によりいのちを喪った、全てのいのちに、
合掌。