当たり前が無くなるという事 | イカポッポーのブログ

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徒然なる日々を、趣味の写真を通じて、音楽等を添えながら綴る

何気ない日常だったものが ふと気づくと

 

無くなっている または減っている。

 

 

 

市内で普通の鳩を見る事が少なくなった。

 

それに気が付いたのは今年だ。

 

 

私が高校生の頃 通学には鉄道(当時は

 

国鉄)を利用していた。

 

帰りは駅 特にホームには数えきれない

 

ほどの鳩がいて 当時は迷惑だった。

 

何せ糞が多量。

 

列車の屋根、電線、ホームの上など

 

あらゆる個所は糞だらけ。

 

それでも女子高生などは列車の窓から

 

お菓子やパンを鳩にやり キャッキャ

 

と楽しんでいた。

 

 

この前 久しぶりに駅の周辺を歩いたら

 

鳩がいなかった。

 

 

一番大きな市営の公園では噴水の周りに

 

老若男女問わずベンチに座り、群がる鳩

 

にお菓子をやっている光景が当たり前に

 

あった。

 

 

この前久しぶりに行ったら 鳩がいなか

 

った。

 

 

いなくなった理由がどうのこうのでは

 

ない。

 

なんだろう。

 

あれだけウザかった鳩の群れが いなけ

 

りゃいないで寂しいもんだ。

 

それだけだ。

 

日常 例えそれが自身にとって多少

 

迷惑な事も それが当たり前の日常で

 

あった場合 それも自分の見る日常

 

光景であったことに気づき 大げさ

 

だが失って初めてその何でもない日常の

 

光景が幸せの一部だったと気づくのだ。

 

 

 

 

 

 

写真は古民家に集う雀たちだが 毎朝

 

うるさいくらいに囀る雀も いなくなっ

 

たら寂しいだろうな。

 

うるさい囀りも 自分の人生の一部

 

なわけだから。耳に入る事が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 仔だくさんになっているが外さないで

 そのままいこうと思っているヴェヌスタ。

 

 

 

 

 

 

今日の1曲は シャナイア・トゥウェインと

ウィリーネルソンがデュエットしてる名曲

「Blue Eyes Crying In The Rain」を。

 

 

 

 

 

 

   最後までお付き合い頂き

   ありがとうございました。