25年を超えてお付き合いのあった写真仲間の訃報が

意外なところからもたらさせれました

 

私が40になるかならないか

ニッコールクラブ高知西支部に入りたい

という一本の電話からYさんとの

お付き合いが始まりました

 

そして2024年6月13日午後

見慣れぬ電話番号に出てみると某不動屋さんから

今朝Yさんが亡くなったという連絡が市役所からあったので

今月中に、アパートを引き払ってほしいという内容でした

 

実はその不動産屋さんが長く

世話をしていたYさんの賃貸物件が立ち退きになり

同じ不動屋さんの扱う別物件に引っ越し・・・

その時に、天涯孤独のYさんの賃貸の保証人を

引き受けたことがこの発端です

 

Yさんは今年のクラブ展に出品予定が持ち込まれずに

アパートを訪ねたらどうも長らく不在のようでした

まさか撮影に行って事故?などと心配はしていましたが

携帯を持たないYさんの固定電は留守番電話

 

それが、その日の電話ですべてを悟りました

友として葬儀で見送ることもできず

入院していた病院名も市役所の担当者は言えない

という通達で、不動屋さんも残念がっていました

 

現状日本のルールでは

身寄りのない人がアパートの一室で死亡した場合、

基本的には相続人がアパートを原状回復して賃貸人に引き渡さなければなりません。

また、故人の遺品整理についても相続人に依頼することになります。

 

今回はYさんに相続人がいないという大前提の上で
病院で亡くなったようなので、部屋の清掃ではなく
アパートの保証人の私が、部屋を明け渡す事になります

民法959条「残余財産の国庫への帰属」によると、
身寄りがなく法定相続人がいない場合、
「死亡した人の財産は最終的には国へ帰属」します。
法定相続人は、法的に亡くなった人の遺産を相続する権利を持つ人のことで、
被相続人の配偶者や血縁関係にある子ども・両親などに限られます。

すでに市役所の通達で預金などは凍結されているでしょうし
私はアパートの賃貸契約にのっとってYさんの身の回り品を
処分するだけです。

土曜日に不動屋さんから鍵を借りて部屋を見に行きました
故人といえども人としての尊顔は守られないといけません

が俗にいうごみ屋敷ではなく一人暮らしの人にしては

荷物こそ多いと感じるくらいです

 

玄関を開けると防寒着の上に愛用していたカメラが二台
帰ることの無い主の帰りを待っていました・・・
入院した日時が判りませんが、ムッとするよどんだ空気の中で
3-4か月はそのままだったようです

トイレも風呂場も洗面台も綺麗に磨き上げられていて
故人のきちんとした性格が伝わるようでした

画像処理をしていたパソコンの横に文箱が一つ
中を見たら、はがきを整理するアルバムが入っており
誰か、個人を知る人に連絡が出来ると思って開いてみました。
写真展を始めた頃の記念写真が一枚と
ほぼすべてが、私が送った年賀状でした

我が家の子供たちの成長記録集のようになっていたアルバムを見て
思わず涙がこぼれてしまいました・・・

写真の趣味があって、退職後の
一人暮らしもきっと寂しくはなかっただろうと

友人や親族にも看取られることなく
一人病院のベッドで亡くなったYさんの魂が安らかんことを

思わぬアクシデントに巻き込まれたと思われるかもしれませんが
Yさんが、最後に私に頼ってくださったことを
誇りに思います。

来年からもクラブの写真展は続けたいと思います
一回目からずっと25年以上Yさんが段取りをしてくださいました
故人の遺志を継げたらいいなあと、草葉の陰で見ていてくださいね

 

最後に私は決してアパートの片づけを苦には思っていません
強がりだと言われるかもしれませんが
こんなめったにできない経験を逆に面白いと思ってしまう自分が居ます

そして保証人なったことを妻に内緒にしていましたが
金曜の夜にカミングアウトしました
妻は、別に私に文句を言うわけでもなく
怒るわけでもなく、不用品の処分の段取りをどうしたらいいか?
智恵を出してくれます。私には過ぎた人ですね

そしてその電話を受けた日にぼそっと漏らした片づけの問題に
すぐ手伝いますよと名乗りを開けてくれたタクちゃんと
思わぬところで巻き添えになったKタさんが
車も出しますし一気にやりましょうと・・・私よりも前のめりです。

日々のアクシデントで雑用は増えましたが
なんだか逆に元気をもらってますね、幸せです。

今日はこの曲がずっと頭の中でリフレイン

 

写真の趣味が起こしたささやかなバタフライエフェクト

Yさんとの出会いは、決していやなことではなく

私に、そうしろという神様のいたずらだと思っています。

それだけはくれぐれも勘違いの無い様にお願いいたします。

 

合掌