人は人をバカだと見下す。

それが現代の人間、少なくともおれの周りにいる多くの人間だ。

90%くらいの人間はおれより頭が悪いと思ってる。

別におれからしたら「頭が悪い」は悪口ではない。
顔が悪いも悪口ではない。
そんなのは、身長が高い低いとかいうことと同義でしかない。

悪口だととられるおそれがあるから口にはしないが。


大して頭がよくないやつでも、テレビを見てこいつはバカだと笑う。

その表れ方が愛がこもったものならいいが、
見下すことになることが多い。

犯罪なんか起きたときには大変なことになる。

なぜ、人を見下すことができるのか。

バカは表象でしかない。
だから、おれはその人を見下さない。
おれはそいつがどれだけのプロセスを経て、そのバカを表にしたかは知ることができない。

そいつの頭にあることは見えない。
言葉や仕草にしたことしか見えない。

決定的に判断材料が足りない。

だからおれはバカに見えることを笑っても、その人を見下すことはしない。
悪く見ることはしない。

コミュニケーションでもそうだ。
ほとんどの人は相手のしゃべる語数より、
自分の頭の中にある語数の方が多いだろう。

だから意見が違えば、相手を頭の悪い人間だと思い、そこに嘲りが生まれる。

そもそも人に対して、上だの下だのと考えること自体がもう時代遅れだ。

人間は生まれながらにして平等だと。
迷惑をかけなければ自分の幸福を追及していいのだと。

もうずっと大昔に人類は辿り着いてる。
たとえ、それが綺麗ごとだとしてもだ。

おれは愛があれば幸福の追及に多少の迷惑があってもいいとも思ってる。

もう、表に見えてるもので相手を上だの下だの言うのはやめにしないか。

中身?見えるわけないんだから、判断材料になんかならないだろ。

判断できるものなんてないんだ。
そんなことぐだぐだ言うのは野暮だ。
もうやめよう。

人は平等なはずなんだ。
幸福を追及していいんだ。

それが出来ない世の中なら。
せめて、人を見下すことは間違いだと、これを間違って読んでくれた人に伝えよう。

多分おれにはこれが限界だ。

生まれは選択できないのだから、
誰もが生まれてきて良かったと思える社会を、
もう考えてもいいんじゃないか。

それは他人を蹴落として上(だと思っていること)を目指すことからは生まれないんだ。

おれらは小さいときから、親、学校、会社、その他の交流を通して、洗脳されていたんだ。

ここに宗教なんかのオカルトが入ると一瞬で胡散臭くなるから、おれはそんな言葉は使わない。

隣人を愛することにオカルトなんて必要ないだろ。
犬だって他者を愛せるんだから。

これを見てイタイやつだという精神構造はある程度想像つくよ。