SYさん 男性 101歳 (簡易宿泊所M館に長年在住)
はH29年12月からポーラのクリニック外来に通院中。
95歳時に盲腸の手術を受けてその後からのおつきあい。
術後の腸癒着による便通異常でお悩み期間が長かったが、
大建中湯(漢方)とアルベックス(腸内細菌改善:自費:当院格安)にて、
この数年落ちついてる。
移動は電動カート。
かなりなスピードで簡易宿泊所M館から疾走で外出。
街に繰り出し101歳の自由を謳歌している。
難聴はあるが、大声で話せば会話可能。
日中は判断力良好。
孫のような年齢の男性ケアマネAさんと良好な信頼関係が構築され、
当院への信頼度も高くて、安定していたじいさん。
このため、要介護度は意外にも「介護2」。
一般的に施設介護の対象となる「要介護3」をもらえていない。
この猛暑の影響かどうかは不明だが、夏に入りSYさんの夜間行動が不隠になった。
簡易宿泊所の1階フロアの全室をノックしてまわるため、みなさんが睡眠障害。
みんなで注意しても、帳場さんが何度も説教しても、変わらずノックする。
夜間せん妄は本人の記憶が無いため、本人は免責。だが周囲にはその理解はできない。
平時は愛されキャラのSYさんだが、この夜間せん妄のため、
私に相談が来た。
通常ならリスパダールなどのお薬を少量投与して、せん妄対策が改善する場合が多いが、
超高齢者には転倒や誤嚥リスクが高く、ギャンブル的治療になるのを恐れて、自然経過に任せた。
ところ、「今月末までに退去命令」が帳場さんから発せられた。
101歳の転居を強いられた。
さあ、困ったケアマネAさん。
一人で相談にみえた。
「グループホームが旭区に。入れそうなんですけど・・・・」
わたしの方針はいつも、可能なら本人の選択任せ。
「お手数ですが、グループホームと、困ったときのいつもの南区簡易宿泊所(ポーラのクリニックの訪問診療訪問看護先)
の両方をご本人を連れてって見せて決めてもらおう。」
「旭区に行くなら介護環境はベターだろうが、新しいチームによるみまもりに変わらざるを得ない」
それもよーく説明してください。と伝えた。
Aさんそのとうりにしてくれた。
その結果が、これである。
人生の「転」は選択の総和によって成り立つ。
コレは何歳になっても変わらない。
SYさんの選択が吉と出るよう、引き続きわれわれのチームで伴走を続けることになる。
これまで最高齢の受け持ち患者さん。
何歳までのばせることができるだろうか?
それよりも、新しい居場所でシアワセになれるだろうか?