順天堂大学医学部3年の「医学教育研究室 武田ゼミ」の最終組の医学生二人(二十歳の男性と女性ひとりずつ)が、6/22にポーラのクリニックへ実習に。

コロナ前には毎年6月に行っていた医学教育の支援活動。 再開した今年度はこの二人で終了となる。

若い人達と接するのは、こちらが元気をもらえて良い。

 

いつもどうり、朝カンファレンスと外来と昼の新薬勉強会と午後の訪問診療に密着見学していった。

 

が、今回はちょっと特別なことが。

 

ちょうどのタイミングでSさん79歳が外来中に息をひきとった連絡が入った。

 

病名 脳梗塞、片麻痺、運動性失語で寝たきり要介護。

誤嚥性肺炎で死にかけたのを近くの病院に救急搬送し、救命。

しかし、反復性の誤嚥のために絶飲食で点滴のみにて生きながらえている患者さん。

在院日数も長くなったため、一週間前に退院となって在宅=簡易宿泊所の自室へ。

 

このSさんの方針について、学生を交えた朝の訪問看護カンファレンスで話題となった。

 

退院時の病院主治医から訪問看護への指示は

①    点滴は毎日一本

②    吸引器を取り寄せて、訪問看護時に喀痰吸引

③    くちびるを浸す程度の水分のみ。絶飲食。

④    次回誤嚥性肺炎なら救急搬送せずに在宅みとりの方針

であった。

 

が、訪問診療同行のナースや訪問看護のスタッフからは、

「医師の指示に従って毎日点滴をするべきか?」

「吸引すればその場はゴロゴロが減るが、また直ぐにゴロゴロする。

吸引すべきか?」

というギモンが私に投げかけられた・・・。

 

前日の状態報告では、

「おぼれるように喉がゴロゴロしていた。」

 

とのこと。

 

病院から出された指示を変更するためには、私が臨時往診をせねば・・。

と考え、

「本日自分が午後診察に行って、あらためて指示を出します」

 

と、発言したその1時間後にヘルパ-からSさん心肺停止の連絡が入った。

 

午前の診療を終えて、

解剖実習以外で亡くなった人をみたことがない学生2人と、ナースと事務員を連れてSさんの簡易宿泊所へ急いだ。

 

発見者のヘルパーさんに冷房キンキンにしてもらってあって、顔の橫に父親の軍服姿の写真を置いてもらってあって、

穏やかな死に顔であった。

学生「似てますね・・」

父親と うり二つの顔でみんながビックリ。

 

指示するまでもなく学生達はご遺体に手をあわせていた。

 

そこで、みんなへ説明をはじめた。

 

 

死前喘鳴とは、亡くなる2-3日前から出現するのどのゴロゴロ音。

この状態で点滴すると水分が増えてゴロゴロはさらに悪化する。

 

もう少しで終わりを迎えられるはずのこの状態で吸引すると、吸引自体が苦痛を与えるし、ひっきりなしに吸引せざるを得なくなる。

 

酸素投与はしてはならない。苦痛を長引かせるだけの効果しかない。

 

人間が産まれて来る時に、産道を通る。

この世に出るまでは、しばらくの間、暗くて狭くて、苦しい。苦痛であるに違いないが誰も記憶していない。

 

それと、同じように、この世から来た道を帰る帰り道の状態が死前喘鳴の道。

周りでみてれば苦痛に見えるが、本人は感じていない(と思う)。

 

だから、主役に任せてじっとみまもってあげるしか、ない。

生と死ってそういうもんだと 思うよ。

 

と伝えた。

 

 

Sさんとは一年弱のおつきあい。

寝たきり状態で訪問診療を始めたのが、初対面。

発語がないので、会話をしたこともない。

 

反復する誤嚥が死因なので、寿命としか言いようがない。

苦痛無くうまく看取れたか??

は心もとない。

 

救急搬送入院が必要無かったのカモ・・・・。

 

でも図らずも入院-退院-再度の在宅一週間のおかげで、

医学生達にとっては最高の教科書になっていただけた。

 

ありがとうございました。

 

学生達に伝えたもうひとことは、

寿での看取りに「ご臨終です」は無い。

「ご臨終は遺族への言葉」

私はいつも、

「おつかれさまでした」

と声をかけることにしている。

 

今回は加えて

「ありがとうございました」

とみんなでSさんへ。