横浜寿町 下巻

が出た。

ここには認定NPO法人「さなぎ達」(2001-2018)の

生い立ちから終焉までが紹介されている。

 

この部分を分担執筆担当したのは、横浜在住の作家山崎洋子氏。

 

 

ご自身も「さなぎ達」の理事をつとめたこともあり、

自分の目と経験とを通じて、「さなぎ」の総括をしてくれている。

 

さすがはプロの文章。

読んでいて引き込まれる。

さなぎのオモテもウラも総て知ってる小生として、

「私には近すぎてさなぎを書けない」

とお願いしていた案件を、とうとうこの寿白書を通じて、完了させてくれた。

 

さなぎを創りさなぎを壊した“カリスマホームレス”のYさんの生い立ちから寿町での活動までを

細かく記してくれている。

 

文中にあるように、

Yさんがいなければ、さなぎもなし。

ポーラのクリニックもない。

2004年から寿町で高齢者みとりの医療を開始してきたポーラのクリニックは、

Yさんと私の合作のようなものである。

NPOが生まれて2年間ほど、迷い悩んだ。

「このまま病院勤め?それとも寿町で医療?」

 

その後押しをしたのがYさんの言葉。

「オレは先生の充実な番犬だから」

「飼い主だけは絶対に咬まない」

「先生にひろってもらった命だから、いつ捨ててもかまわない」

等の殺し文句におだてられ、病院を辞した。

 

彼とは、彼の棲む廃船の中で、何度となく語り明かした。

そして、

「いまの寿なら、高齢者生活保護下の寿ならば、

理想とする医療が可能になるかも・・」

「そして、全国に先駆ける高齢者みとりの体制が創れる」

の結論に至った。

 

折しも2000年から稼働が始まった介護保険制度が、

生活保護者には無料で提供されることを知り、

「病院やめてやってみよう」

と決心。

 

まずは、女性や若者が自由に出入りできる明るくて安全な環境の街、

を創る必要があった。

 

当時の寿は町中ゴミ捨て場、酔っ払いが路上に、ナンバープレートが外された廃車が棄てられ、

小便のニオイだらけに、ネコがネズミをおっかけまわす、そんな街だった。

 

「これではナースやヘルパーが入れない。」

「みとりなどできない」

 

この環境改善に大きく貢献してくれたのが、

「さなぎ達」

であった。

 

コンサートやホームレスフェスタ、マスコミなど、

人を入れる、人にみてもらう、楽しめるコトブキをめざしたのが

「さなぎ達」であった。

 

当時はまだ、学生運動のなごりの様なペンキの刷毛文字シュプレヒコール立て看が至る所にあり、

「コトブキの労働者仲間と役所との『対立』」

の構図が顕著であった。

 

Yさんはちょうど団塊のまん中、私は団塊の終焉直後の世代。

お互いが学生運動のむなしさを熟知していた。

私は「対立」と対極の「協調」の路線にてコトブキを改革することをさなぎの定めとし、

「誰もひとりぼっちにしない」

とファミリーレスやホームレスの人達との向き合いを始めた。

 

「コトブキで孤独死をさせない」

ポーラのクリニックのミッションは「さなぎ」に原点があることを

おわかりいただけると思う。

 

話は飛ぶが、

対立にて生まれるものは何もない。

ロシア-ウクライナ、中国-台湾・日本、北朝鮮-日本、キリスト教-イスラム・・・・・。

のみならず、

職場、ご近所、親子関係などなど.

トランプ政権時代、

北朝鮮にミサイルを撃たせなかったのも、

中国と微妙な関係を維持できたのも、

ロシアにウクライナ攻めをさせなかったのも、

バイデンと異なって、

”AMERICA FIRST”

とか言い続けて、

国際的には少なくとも対立の構図を作らなかったこと

これが彼の功績。

ニッポンがたくさんのジェット戦闘機やミサイルをアメリカから買うことが「防衛」よりも「対立」を産み出す原因になるならば、

そのための増税には賛成しかねる。

 

 

1+1はプラス∞にもなり得るが、1-1はゼロでしかない。

私がさなぎから学んだモノはこの単純な数式である。

 

裏でさなぎのカネを使い込み、出入りする人達にカネを無心したYさんへの個人的恨みは何もない。

むしろ、今こうしてコトブキでスタッフや介護会社の人達と

楽しく仕事させてもらっているきっかけを作ってくれたことに感謝している。

 

「さなぎの理事長をやめたとき、あるいはさなぎを終了したとき、もう一度会いましょう」

が、彼への最期の言葉。

以来番犬Yは忠実に約束を守り、コトブキには入らなかった。

 

高度の便秘にて大腸の進行がんを発見したとき、

わたしの元勤務先の国際親善病院へ

入院・手術のために戸籍を取り寄せ、健康保険証を作らせた。

その時に彼の本名を知った。

 

医師の家庭に産まれ、

オヤジの背中をみて育ち、

しかし、学習障害と多動性障害を有し、

医学部を受験するフリだけして、以後家出の音信不通。

躁鬱を引きずりながら、

睡眠薬を多用し、

人を惹きつけることに生きがいを感じ、

惹きつけたひとに危害を与える人生を繰り返した。

 

それが、Yさんの生涯である。

 

コトブキに生きる人達には

必ずストーリ-がある。

 

そのひとりひとりのストーリーに向き合って

みとり方を組織で考える。

 

これは私が「さなぎ達」から学んだポリシー。

 

Yさんはヘビースモーカー。

どんだけ注意しても止めなかった

「えへへ」と

全くない歯の口を開けて照れ笑いするのみ。

2020年1月横浜の大きな病院で肺癌のために亡くなったそうだ。

 

これまで、なかなかブログに書けなかったこと。

山崎洋子さんの文章が後押ししてくれた。

私にとって、「さなぎ達」と「Yさん」

の総括である。

 

詳細はどうぞ下巻の第6章4節の山崎洋子さん担当をお読みください。

 

「コトブキは10年先をいく街」

は今でも変わらない。

現在のコトブキは下巻にあるように、

山崎さんが紹介するように、

女性がイキイキと活躍する多様性の街になっている。

 

これがソトブキ(コトブキの外=一般社会)に

伝播して行くことを期待する。