Salut Jean。

 

久しぶりだね。

 

元気かな?

 

つい先日、依頼されていた「Autisme」に関する「覚書」を書いたばかりなんだ。

発表していた資料も趣意文も無くなっていたので、書けないと思っていたけど、

どうにか?こうにか?不完全だけれど、文章にはしてみた。

結局、ある種の<論理的賭けになる証明過程の理論>になるけど、

「色んな理論の要素的問題」を投げかけたことになると思う。

 

要は、「Autisme infantil precoce」と「Psychose infantile」の構造的な診断の抽出を、<Lalangue>の構造的原本を探りながら、「同一視の根源的な構造」を<結び目の数学>の次元で、<要素的抽出>を試みて、治療次元に出現する<トポロジー的様相>で統合してみたんだね。

 

また、この二つの重度の疾患の<徴候学の次元で観られる相違点>も、この際、

思い切って、書いてみた。

 

さらに、我々、臨床家にとってコアになる、

Lacanの提示したjouissanceの論理的次元からの理論の抽出が如何に大切であるか?が、良く分かる。

そこで、jouissanceからJouissance(=私・授・言・意:Kyo)経由のJ'oui-sensのようなsignifiantを産出し、

AutismeのS→$への不可能性を論じるために、

妙な、$の構造的次元の動態を決定付けるSignifiantの連鎖を考えてみたよ。

この理論化の全体像は、過去から現在に至った<Avant FreudからApres Lacan>になっている。

 

兎に角、どうにかだね。

 

Mariaに宜しくね。

 

Kyo

 

Jeanへ

 

「Autist sans parole」に関しては、やはり難しいね。

 

思い付きに近い、<逆説的知の体系>にして、

<可能な範囲の命題>を見出し、あくまで、

<逆説的な論理性>に基いて抽出できる<要素群>での、

私的な論考にした表現になったからね!

この様な方法を屈指すると、

<必然的な証明作業>が課せられたかも知れない?

<限られた時空間での限られた物理量>による<シニフィアンの連鎖>のある一様態かな?

 

さらに、DactiroGraphieのTexteを持っていたはずなんだけど、<Les Non dupes errent>というラカンの<Un des Seminaires>を、無くしてしまって、気になって仕方が無いんだけど、よく覚えているんだよ。

しかし、全ては、そんなもんかな?

それと、僕の「さ~ん~と~む」で、見出される、<超波動原理の様相>となっている、「~」と<PHC>の相関性は、Jeanには、理解できるよね!?

難しいけど、そうじゃないと、<全ては、この科学性から外れてしまう次元>にしかない<Imaginaire>が、

<Castration>を招く、<P>になってしまうからね。

このように、文章を書いていくと、<世の中は、実は、物騒じゃないかな?>と思いながら、

Kyoの住んでいる、日本も、<恐ろしく、物騒な国>で、

Kyoが望んできたことは、正反対になってしまい、

真の意味で、<安全神話の崩壊の国>になり下がってしまったかも知れない。

 

Mariaに宜しく。

 

Kyo