旧日本軍は、住民に手榴弾を配って「自殺しなさい。」と言ったそうです。

当時の日本は、武器弾薬が豊富に揃っている状況での戦争ではなかったと思います。そして沖縄では、すぐそこまでアメリカ軍が来ていて今まさに決戦という時、手榴弾は貴重な武器だったはずです。それを非戦闘員である住民に分け与えた意味。
これは生きて捕虜になって辱めを受けることは死ぬより辛いことだ、という思想に基づいて、住民に情けをかけたんだと思います。
捕虜になることが死ぬより辛いと考える人にとっては、いざという時にピンを抜くだけで死ぬことができる手榴弾は、有り難かったのではないでしょうか。

もちろん、捕虜になることは辛いけど死ぬほどじゃない、と考える人もいたでしょう。そういう住民には、生きる選択も残っていたはずです。わざと捕まって捕虜になることもできたし、逃げたり隠れたりすることもできたはず。極端に言えば配られた手榴弾のピンを抜いてアメリカ兵に投げることさえ、できたのではないでしょうか。

当時の沖縄の戦況や住民の精神状態を想像すると、旧日本軍が住民に手榴弾を配ったという行為は、単純に責められるものではないと思います。

罪を憎んで人を憎まず。
何が悪いかを考えて生きていきたい。何が悪いかを考えて、その対策を考えることで、前に進める。
誰が悪いかを考えてばかりでは、憎しみばかりが大きくなって、何も前に進めません。

悪いのは「戦争」です。

-<以下引用>-------------------

2011.4.22 13:01
 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。

 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。

 争点は軍や元戦隊長らによる住民への命令の有無だったが、同小法廷は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張。民事訴訟で上告が許される場合に当たらない」として、判断を示さなかった。

 1審大阪地裁は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘して請求を棄却。2審もこれを支持し、控訴を棄却していた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/trl11042213010001-n1.htm