こんにちはニコニコ

精神科にかかるようになってはや幾年。

私は統合失調症と診断を受けました。

自分では、絶対に鬱だよ煽りと、ずっと思ってきました、

子供の頃は一言も喋らない子で、笑顔も見せない子でした。

心の中は悩みがたくさんあって、一人で抱えて絶望しながらランドセル背負ってました笑い泣き

小児うつ

当時の自分をもしも精神科に診せれば、多分、そう診断されると思いますえー

詩を書き始めたのも、憂鬱な心を整えたくて書き始めました。

自分の書いた日記を読んで愕然ガーン心の中に闇しかない魂もやもやガーン

小学生ながら、こんなもの誰かに見られたら最悪ガーン

っていうか、自分最悪笑い泣き

その衝撃を受けて、日記の代わりに詩を書くようになりました。

詩だと、文章として落とし込まないといけないので、書きながら心の整理をして、これからどうしたらいいのか、この物事を違う角度から眺めたら、自分の中に落とし込めるかもしれないので、暗中模索をしながら、書くことができて、万が一、他人に見られても大丈夫なように書くので、メンタルヘルスを整えながら脳トレもできました。

環境が悪くて笑い泣き

以前の記事で、全寮制の高校を受験したと書きましたが、家も地元も出たくて仕方がなかった15歳でした。

自分が無力な子供であることが辛くて、早く大人になりたかったです。

進学した公立高校を中退したのも、早くに社会人になりたかったのが本音ですね。

まだ16歳ですから、社会人といってもガキんちょです。

社会に出たら出たで、違う悩みが生まれました。

基本的に悩みを相談できる相手がいませんでした。信頼できる大人が周りにいなかったし、

居たとしても自分に自信がなさすぎて、近寄れませんでした。

人間関係で悩んで退職…自分の気持ちを整理して煙草代が切れる頃、また働く。

そんな刹那的な働き方をしていたのが10代の頃でした。



星星星



精神科に担ぎ込まれる前、私は就職先で女性上司からのパワーハラスメントで心身を病んでしまっていました。

退職して難を逃れましたが、新しい仕事先で、どうしても上司になじめなくて、とても優しい上司なのに、拒否反応を起こしてしまう…これはトラウマだと思いました。

働くことができなくなってしまいました。

それでも煙草代は稼がなきゃいけない。

家族は冷たくて、私はそのうち家のごはんを食べなくなり

お金がないのに

半額のバナナを買ったり、パン屋さんでパンの耳をもらってきて食べるようになりました。

大きなストレスの中に置かれて、誰にも助けてと言えない状況

家族は私など目にいれたくないので、無視されていました。



星星星



それで精神科に担ぎ込まれたのですが、
精神科に行くように母にアドバイスしてくれたのは、今は亡き親友でした。

もしも彼女が電話口で母にそう言ってくれなかったら、どうなっていたんだろう。

その晩、母は親戚のおばさん二人を自宅に呼んで私に会わせました。

おばさん二人は

まぁ、どうしたんでしょうねショボーン

お大事にニヤリ

…あの時の冷たい態度を今でも憶えていますキメてる

当時は精神科にいく=社会的入院になるから、もう帰ってこられない、だから母は親戚のおばさんに、私を会わせたのだと思います。

本当に冷たかったです。

そのまま入院したのですが、父が

こんなとこにいたら、余計におかしくなっちまう!

と、私は2ヶ月で退院できましたニコニコ

父のお陰です、父ちゃんありがとう❗️




星星星



まさかの退院で笑い泣き
母が私にかけていた保険を請求するから、診断書かいてもらってこい

と、言うわけで、外来受診のとき主治医に診断書をお願いしました。

その時点では、私は統合失調症とは診断されていませんでした…




※ここまで読んでくださりありがとうございます。長くなったので…続きますウインク