エイダ・チャード=ウィリアムス

 

未婚の若い女性であるフローレンス・ジョーンズが「里親を斡旋致します」との新聞広告に応じて「ヒウェットソン夫人」と名乗る人物と会ったのは1899年8月31日のことである。場所は英国ハマースミスのチャーリング・クロス駅だった。フローレンスは1歳9ケ月のセリーナを預けると、5ポンドの斡旋料のうち3ポンドだけを支払った。当時の彼女にはそれだけしか工面出来なかったのである。 

 

後日、残りの2ポンドをどうにか工面したフローレンスは広告に記載されていた住所を訪ねた。ところが、そこは既に蛻けの殻。不審に思った彼女は警察に届け出た。1か月後の9月27日、バタシーに隣接するテムズ川の岸辺で子供の遺体が発見された。「錨結び」と呼ばれる特殊な結び目で首が絞められている。間もなく遺体がセリーナ・ジョーンズであることが母親により確認された。  

 

錨結び

 

警察は新聞広告の線から捜査を進め、自称「ヒウェットソン夫人」がエイダ・チャード=ウィリアムス(24)であると突き止めた。しかし、現在はどこに住んでいるのか判らない。その後の手掛かりは得られなかった。だが、事態は意外な展開を見せる。12月5日、なんとエイダ本人から「私はセリーナを殺していません。クロイドンに住むスミス夫人に預けただけです」という手紙が警察に届いたのだ。   

 

新聞での報道を受けての手紙だろうが、これが命取りとなった。居所を突き止められたエイダは、セリーナ殺しで有罪となり、1900年3月6日に絞首刑になった。有罪の決め手となったのは彼女の部屋から押収された「錨結び」だった。なお、夫のウィリアム・チャード=ウィリアムス(47)も逮捕されたが、証拠不十分のために釈放されている。エイダは余罪が疑われていたが、明らかにならなかった。