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呼び出されても拒否」=裁判員候補者ら会見-東京

5月21日12時28分配信 時事通信

 
裁判員制度が始まった21日、制度に反対する裁判員候補者の元中学校教諭の男性(67)らが東京都千代田区の弁護士会館で記者会見し、「裁判所からの呼び出しに応じる気はない。(不出頭で)過料を払うのは仕方がない」と訴えた。
 男性は候補者に選ばれたとの通知書のコピーを手に「最高裁に送り返した。被告を死刑だとか一生監獄に入れるとかを決める仕事はやりたくありません」ときっぱりとした口調で語った。 


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遂にスタートということだが、早速拒否の意思表示を

される方も現れた。こういう方はこれから

続々と出てくるという気がする。


中には「滅多に出来ない経験だから、呼び出しに応じる」

という人もいるが、往々にしてそういう人は

「好奇心」が強く「目立ちたがり」で裁判を

「面白半分」に捉えているように感じる。

まあ、そんな人ばかりではないのはよくわかっているが。




私自身は、参加してもいいと思っている、しかし

この制度には反対である。まず、今回のやり方は

日本には馴染みにくい、日本人にとって非常に

過酷であると感じる。

それからこの制度の目的だ。

司法に庶民の感覚を取り入れる、確かにその主旨は

結構だが、私は疑っている。

「死刑制度」を有名無実にする気ではないかと。


現在日本では「死刑」に賛成が大多数で

死刑廃止論者にとっては風向きが悪い。

世論が賛成である以上、無理に廃止もできない。


となれば、世間が自分から「死刑」をやめようと

言わせるように仕向ける魂胆ではないのか、と。

いや、死刑は存在して良い、しかし、

「死刑」の判決が出しにくくなったら。

死刑の判決は実際、どうなるだろう。

多くなるのか、少なくなるのか。





庶民には「死刑」判決を出すのは過酷で

井戸端会議でなら「死刑」が相当だ、といっている人も

いざ、法廷で被告を見、その判断の重みを実感した時

果たしてどういう心理状態になるだろう。


司法試験に合格し、それ相当の経験も積んで

それなりの報酬を得ているプロと同じ土俵で

どれだけの意見が言えるのか。

自分自身の判断に自信が持てるのか。


たとえ、一点の曇りもなく、その人物が犯したに違いない

事件で相当の鬼畜で残虐で冷酷な犯行状況で

死刑以外には有り得ない、という場合でも

自分が死刑を下すとなるとどうだろう。

いや、「死刑」を判断するにやぶさかではなく

何の迷いもなくそう判決したとしてもだ、

その後の心理はどうだろう。

あんな奴は極刑で当然だ、と思ってはいても・・・・・。




そういう日本人の優しさを悪用されるのではないか

私はこの制度を疑っている、信用ならないものだと

いう気がしてならないのだ。