先日、阿久悠物語をテレビでやっていた。


あの頃は本当に歌謡界が華やかだった。


ヒット曲もどんどん出て、アイドルもとても可愛かった。


阿久悠氏の歌詞は、本当にバラエテイに富んでいる。


演歌アリ、ポップスあり、大人の心情から少女の初々しい感情まで。



歌を物語として、一つの世界を創り上げる。


今は、シンガーソングライターというか、歌い手(アーテイストなんて言えるミュージシャンは少ない)の


私小説みたいな内容だから、狭いし普遍的共感を呼びにくいものが多い。だからピンポイントの


ターゲットになるんだろう。


もうあんな時代は来ないのだろう。


皆、個の個、極小からさらに個へと、狭さを増していくのだろう。


細分化されすぎた興味は、もはや、少しの違いも妥協できぬ程に


人を意固地にさせるかもしれない。


しかし、一方、人は人を求め、共感を求める動きも反動として大きくなるのではないか。


歌はかつて、連帯感、一体感をもたらすものだった。


そしてそれが失われた今、やはり人はそれを求める。近年、歌声喫茶が復活し人気を博しているというのは


その表れだろう。