ピーテル・ブリューゲル1世「バベルの塔」
(油彩・板・1568年頃・59.9×74.6cm)
「バベルの塔」の展示室は想像したよりも
会場全体の鑑賞者は少なかったが、
さすがに「バベルの塔」の原画の前には、
百人以上の列ができていた。
「ブリューゲルの肖像」
ヨハネス・ウィーリクス
(エングレーヴィング・1572年・20.5×12.5cm)
私は並ばずに単眼鏡で観たが、印刷物などで
知っていただけで、原画を前にそのイメージは一変した。
さらに展示室には、数十倍に拡大した写真や比較など、
「バベルの塔」に関する細部の解説があり、
想像とはまったく違う別の世界が広がった。
改めてブリューゲルという画家の凄さを知った。
バベルの塔とコロッセウム
ブリューゲルの「バベルの塔」は、ローマのコロッセウム
をモデルに描いたといわれる。ブリューゲルは、まだ若き
頃の1553年にローマに滞在しており、巨大な建築物
であるコロッセウムを詳細に観察したのだろう。
これより以前には版画業者ヒエロニムス・コックの下
で銅版画の下絵画家として働いており、この時に
コロッセウムに興味を持ったのだろう。
ヒエロニムス・コック「コロッセウムの眺め」
(エングレーヴィング・1551年・22.8×32cm)
:上の版画をよく見ると、当時のコロッセウムは
雑草が生い茂って廃墟となっていたことが分かる。
作者のコックは、ヘームスケルク(下段参照)の
スケッチを原画に用いて制作した。
M・V・ヘームスケルク「ローマのコロッセウム」
(エングレーヴィング・1572年・19.9×26.1cm)
:ヘームスケルクはコロッセウムに魅せられて、
1532年から5年間ローマに滞在してスケッチを
重ねた。この作品は後に版画として描いたもの。
「バベルの塔の崩壊と人々の離散」
(エングレーヴィング・1569年・19×25.2cm)
:この作品は、ブリューゲルが描いた「バベルの塔」の
後に制作したもの。しかしコロッセウムとは似ても
似付かぬ形状として描いている。
この「バベルの塔」の展示室までに、
ブリューゲルの一連の版画作品が展示されていた。
版画の代表作「大きな魚は小さな魚を食う」や
「忍耐」などの初期作品は、明らかにボスの
影響を受けている。
以下、すべてブリューゲルの版画作品
「大きな魚は小さな魚を食う」
(エングレーヴィング・1557年・21.8×30cm)
連作七つの大罪と七つの徳目より
「大食」(連作七つの大罪より)
(エングレーヴィング・1558年・21.1×29.3cm)
「邪淫」(連作七つの大罪より)
(エングレーヴィング・1558年・21.2×29.5cm)
「希望」(連作七つの徳目より)
(エングレーヴィング・1560年頃・21.1×29.5cm)
「慈愛」(連作七つの徳目より)
(エングレーヴィング・1560年・22.3×29.4cm)
「忍耐」
(エングレーヴィング・1557年・32.4×43.3cm)
「最後の審判」
(エングレーヴィング・1558年・22.5×29.1cm)
「冥府に下るキリスト」
(エングレーヴィング)1561年・21.2×28.9cm)
「金銭の戦い」
(エングレーヴィング・1570—72年頃・22.2×30.7cm)
農民画家といわれるブリューゲルの一面が見える
版画作品と油彩画
下の銅版画は有名な「野外の婚礼の踊」をもとに
新たに製作したもの
「農民の婚礼の踊」
(エングレーヴィング・1570—72年頃・33.5×42.9cm)
「野外の婚礼の踊」(展示されていない)
(油彩・板・1566年頃・デトロイト美術研究所蔵)
ボスとブリューゲル作品以外に、特に魅入った作品
を1点ご紹介します。
ヨアヒム・パティニール
「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」
(油彩・板・1520年頃・22.5×30cm)
22.5×30cmとA4ほどの小さな作品だったが、
近景と遠景の描き方からその空間の大きさや、
滅亡する「ソドムとゴモラ」の炎上が生々しい。
優れた作品だと感じた。
前回と今回に掲載した図版は、すべて展示会図録より
複写・掲載したものです。