『ヨーロッパの大聖堂』(トーマン編、ベトノルツ写真、ホルンゲッサ―文 忠平美幸訳、河出書房新社、2017年)という本を読んでいる。文は少なく写真が多いので、読むというより見ている。ドイツのローテンベルク付近の教会建築が見たいと思って探したが、ドイツに限った本はあまりない。フランスが一番多い感じだが,この本はヨーロッパと銘打っていても3分の1はドイツの建築というので、読んでみた。高い本なので図書館で借りていて、もしよかったら購入しようかなと思っている。


これを見て目を引かれたのが、リューベックの聖マリア教会のマリア祭壇である。ハンザ都市リューベック、行ったことはないが、リューベック出身の留学生に少しの間ドイツ語を教えてもらったことがあり、絵葉書でこの教会は見たことがあった。

 St. Marien from tower of St. Petri, Lübeck photo by 

Rabanus Flavus Public domain

バルト海地域には天然石がなかったので中世盛期から後期の長期にわたりレンガが使われた。そのためリューベックからグダニスク、ストックホルムからブランデンブルクまで似通った特徴を持つという。この教会は当初ロマネスクだったが「1250年から莫大な費用をかけて改築された。」身廊は高さ40メートルの2階建て。塔の高さは125メートル。当時20歳のバッハがブクスフーデの演奏を聞きに400kmを歩いて来たのがこの教会。第二次世界大戦では空襲を受けかなりの損害を受けたという。その後修復がなされた。

Lübeck, Ruinen um Marien-Kirche 1942年 

German Federal Archives  
CC-BY-SA-3.0-DE
       
修復後の身廊

The Lübecker Marienkirche (built between 1277 and 1351) is located on the Old Town of Lübeck. The three-aisled basilica, built in baking stone, has the highest baking stone arch in the world, 38.5 meters). photo by W. Bulach  CC 表示-継承 4.0

祭壇は1518年にアントワープで作られ、1522年に商人によって寄贈された。二重扉の祭壇。

完全に閉じた位置では受胎告知の画像。

 Antwerp Altar piece in Luebeck, paintings, third view (closed)

photo by Concord CC-BY-SA-3.0 
一枚目の扉を開いたところ。イエスとマリアの生涯の場面を表わす。中央には、羊飼いたちの崇拝、東方の三博士の崇拝、イエスの割礼、エジプトへの逃避、扉ではヨアヒムとアンナの結婚、ヨアヒムの犠牲の拒絶、ヨアヒムの感謝祭の犠牲、そしてヨアヒムが神殿を出るときに貧しい人々に施しを与える場面。

 Antwerp Altar piece in Luebeck, paintings, second view (semi-closed) 

photo by Concord CC-BY-SA-3.0 

 翼の両方のペアが開いている場合(祭日):

彫刻された聖母マリアの死、中央に死のシーン。
その上にはマリアの被昇天を描いたグループがあったが、1945年に盗まれた。その下には葬列。左側は受胎告知であり、右側はマリアの墓に入れる儀式。
刻まれた左翼は上のマリアの誕生と下部の神殿でのイエスのプレゼンテーション、
刻まれた右翼は上のエッサイの木、そして下の神殿にいる12歳のイエス

Antwerpener Retabel in der Marienkirche zu Lübeck, Marienretabel von 1518 in der Marientidenkapelle der Marienkirche (Lübeck). Das Zentralbild zeigt den Marientod.
AuthorInnomann CC-BY-SA-3.0-migrated


この彫刻が優れているのかどうかは、拡大した写真も無いので見分けられないが、何よりもこの細工の豪華さ、細かさに恐れ入る。これを作るのにどれだけの歳月と人手がかかったのか? 最初の扉も、2枚目の扉もかなり完成度の高い絵。心静かに神と対話するようなタイプの祭壇ではないが、お金を思い切り掛けた祭壇ということはよくわかる。なにせ「莫大な費用」を掛けた教会だから。今よりも薄暗かっただろう教会の祭日に扉が開いて、煌めく金色の光と共にマリアの生涯が目の前に展開されるその光景に人々は何を思ったのだろうか。

 今画像で見るとハンザ都市はさぞ裕福だったのだろう……と思うばかり。実際にその場に行ってみると違うのかもしれない。