今回は前回に引き続き、『ある臨床心理室の回顧から』より、前回書けなかった精神科医二年目に中井先生が出逢われた、臨床心理士の細木照敏先生とのエピソードについて、ふれてみたいとおもいます。
中井先生は30代のすべてを細木先生の元で過ごされたようで、細木先生の心理室のしつらえについて、こう表現されています。
『パウル・クレーの晩年の作品「まだ目の見えない天使」の複製がかかっていて、皆、この煤(すす)のただよう大気の中で、手さぐりしている。盲目の幼い天使の絵が好きであった。それは患者のようでもあり、我々のようでもあった。』
『この心理室は居心地がよく整えられた部屋だった。乱雑では無論なく、さりとて脅迫的に整頓されているわけでもなかった。』
私の部屋がどうかと言われたら…反省しかないです。ただきちんと整いすぎてるのでもないという部屋のしつらえって、どんな感じなんだろうと思い、また画像があればいいなと思いました。
また細木先生は、
『心理検査には抽象的、無機的な部屋がよいというのは間違いで、普通の部屋のようなたたずまいがよいといわれ、そのようにしておられた。』
そうです。
普通の部屋というのがどんな感じなんだろう…と疑問に思ってしまいます
一度いろいろな場所の心理室や相談室をみてみたいなと思いました。
ただ相談支援をする中で言えるのは、生活場面での相談の方がリラックスして相談相手が話せることがあると思います。
そして中井先生が余談として書かれている内容もなるほどーと思う内容でしたので、紹介させて頂きます。
『部屋と人のあいだには目にみえない交流があって、双方が成り立っている。』
『事物と人間との関係には独特の親密性がある。私の所有である必要は無い。レヴィ=ストロースのいう「周辺存在」、つまり自分の「まわり」にあるものとの交感である。本も時々読んでやらないと荒れてくる。ページを開くことが適当に湿り気を与えているだけの物理的なことかもしれないが、それ以上何かがあるように思えてくる。』
この文章を読んで、もう何年も触ってない本が確かにあるなと思いました。
『事物と人間との関係には独特の親密性がある。』
『自分の「まわり」にあるものとの交感である。』
なにかうまくいってないと思う時は、ひょっとしたら何年も触ってないものに手を触れてゆくことなのかもしれませんね
中井先生も『神秘主義ではない』と書いておられますが、私は神秘主義と思っても良いので、今年はこれに挑戦してみたいと思います
もう少しこの項にはふれておきたいことがあるので、続けます