19世紀の大英帝国 ⑫ オスマン帝国の近代化 | BEYOND BORDERS

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日本はお隣の中国(清)の状況を聞き、急ピッチで近代化を図っていきます。

このようにオスマン帝国も自国内の独立問題を多々抱え、その都度ヨーロッパ列強が介入してくるようになると、国政を変えヨーロッパに負けない強国を目指すようになりました。

 

この改革を「タンジマート」と呼び、トプカピ宮殿のギュルハネ(ばら宮)で発表された内容を「ギュルハネ勅令」と言います。

 

 

写真は1839年、ギュルハネ勅令を発表している外務大臣ムスタファ・レシト・パシャ。

タンジマートとは「タンジマーティ・ハイリエ」の略語で「恩恵改革」の意味です。

神権国家から法治国家を目指し、中央集権から官僚制度を整え、西欧諸国を味方にするためにも「非ムスリムの権利」を認めたものです。

 

非ムスリムーキリスト教徒を不当に扱っていると他国から内政干渉されないためでした。

特にロシアはそれを口実に南下を目論んでいました。

 

オスマン帝国と日本の歴史は非常に似ているのです。

ヨーロッパ列強に近く、地続きであるが故、オスマン帝国の方が日本よりずっと過酷ではありました。

 

西洋化・近代化運動はお隣の中国の洋務運動より、日本の明治維新より、オスマン帝国が先でした。

 

 

 

明治になり、日本は富国強兵と陸軍・海軍ともに力を入れ、実際に戦争を体験することになりますが、オスマン帝国も兵力に力を入れました。海軍は日本を表敬訪問に訪れたこともあります。

最近の日本ではかなり知名度が上がりましたが、天皇に表敬訪問した後、エルトゥールル号は和歌山沖で沈没しました。
かなり古い艦、トレーニングにできていない海兵で台風の時期に動いてしまったからです。
1890年(明治23年)9月11日、遭難。500名以上の犠牲者を出しました。
 

台風にあおられ、岩礁に激突。

機関部に浸水し、水蒸気爆発を起こしたのです。

この時、地元の日本人たちが手厚く救助に当たったのです。

 

台風の時期で、漁業で成り立つその村も十分な食料の蓄えがありませんでした。

しかし、できる限りの食料を持ち寄り、冷えた体を寄り添って温め、「大切なものだろう」と海からできる限りの品を拾い集めました。

当初、日本人が窃盗をしようとしていると誤解したトルコ人たちでしたが、日本人は破れた衣類は縫い、金属類は磨いて保管していたのです。

当時の一般の日本人はトルコ人もオスマン帝国も知りません。

ただ、人道上懸命に尽くしたのです。

そして、日本海軍が生存者をイスタンブールに送り届けました。

 

以来、このことは「エルトゥールル号事件」としてトルコの人たちの間で語り継がれ、とても親日な国となりました。

 

 

それから約100年近く経った1895年、イラン・イラク戦争の時です。

イラクのサダム・フセインがイランの上空の航空機の無差別攻撃宣言をしました。

各国の航空機がイランに残る自国民のための臨時便を出す中、日本だけは邦人救出のフライトを出せないでいました。

自衛隊には法制上制限があり、日本航空の乗員はストライキを起こし運航を拒否しました。



この窮地に、イランに残るトルコ人を助けに行ったトルコ航空は、自国民を歩いて帰国させ日本人を運んでくれたのです。

エルトゥールル号の事件を恩に感じていたトルコは、まさにこの時恩返しをしてくれたのです。

 

 

この話は本としても映画としても有名になっています。

最近のものでは2015年に公開された「海難1890」が有名です。

ぜひ、ご覧になってみて下さいね。

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