感謝と思いやり➁ | PADME

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人生を豊かに

御馳走様Part2

 

 以上の話を踏まえて、禅宗の食事作法の御馳走様について説明します。修行僧は持鉢と呼ばれる、大小五枚の椀が入れ子式になっていて一つに重ねて収納できる漆塗りの黒椀を所持しています。食事が始まると黒椀を包んでいた布を飯台に広げその上に器を並べます。今までSignpostにおいても、禅宗の食事作法で唱える偈文を通して、頂きますの意味を述べて来ましたが、食事が終わった所でまた偈文を唱えます。これが、禅の御馳走様の心であると考えます。

 

 持鉢(じはつ)という食器に盛り付けられたお粥或いは麦飯、そして漬物を食べ終えると、回って来た湯器のお湯を注ぎます。香湯とは香りのあるお湯であるからお茶の事であり、浄水は沸かした白湯の事です。これを持鉢に貰い受けると、それを直ぐに飲むのではなく、そのお湯で器にくっ付いているお米の残りを、箸を使い一切れの沢庵(漬物)で洗い落すのです。それでそれぞれの食器を順に洗うと残りカスが、お湯と混ざり合って一つの椀に集められます。

 

 そこでこういう偈文を唱えます。我此洗鉢水(がしーせんぱっすい)如天甘露水(によてんかんろみ)施与鬼神衆(せよきじんしゅう)悉令徳飽満(しつりょうとくぼうまん)唵摩休羅細沙婆訶(おんまくらさいそわか)直訳すると、我れこの鉢(器)を洗いし水は、天の甘露の味の如し、鬼神衆に施し与えて、悉く飽満を得せしめん、オンマクラサイソワカという事です。更に分かり易く言うと、今この食器を洗っていた残水は、誠に甘露の様な美味しい味がする。

 

 それを私は地獄で飢える餓鬼に施し与えましょう。そして全ての餓鬼のお腹を飽満にさせて上げたい。その為に真言である咒文を唱えます、オンマクラサイソワカと。この全員分の残水は小さな桶、折水器(せっすいき)を回して中へ入れます。ただ供給(くきゅう)の修行僧は、実際は残飯を受け取る事なくその日の役を終えます。何故なら、自分が食べるという事は、食物という他の生命を頂いて生かされているのですから、残さずに全てを食べ切るからです。

 

 それでも残った米粒は、飢えと渇きに苦しむ地獄の餓鬼に与え、食べて貰いましょうという事であり、これは絶対に粗末にしませんという心と行動です。

 

萬善寺