白洲正子の書斎 | けいすけ's page~いと奥ゆかしき世界~

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日々感じたことや思ったことをつれづれなるままに綴っていきたいと思います。

去年だったか一昨年だったか、夏に東京都町田市にある白洲次郎・正子夫妻の家「武相荘」を訪れたことがあった。主眼は白洲正子の書斎を見ることだった。物書きはいったいどんな環境で創作に励んでいるのか、と。

小田急線鶴川駅からバスで10分の場所で下車し、大通りから横に逸れた坂道を登っていくと、深緑に染まった竹藪が周囲に生い茂る古民家が見えてくる。門で入場料を払って敷地内に入ると、近くの小屋に、かつて白洲次郎が乗り回したアメリカ製の自動車が堂々と出迎えてくれる。武相荘はその先にある萱葺き屋根の古民家だった。

家の中に入るとまず洋風の立派な椅子が設えてある広い客間があり、その一方で囲炉裏などかつての日本の生活用具もある。お目当ての書斎は、そんな和洋入り混じる住空間の一番奥にあった。

書斎に踏み入れるとそれまでとは別空間だった。六畳間の壁は、まさに汗牛充棟というべき書籍で埋め尽くされており、その奥には後で増築したという狭い板間があり、そこに執筆に必要な文具等が置かれている小さい掘り炬燵が設えてある。晩年の白洲正子は主に台所のテーブルで執筆活動をしていたらしいが、この掘り炬燵も相当活躍していたのだろうと思うと、そこに座って筆を走らせる白洲正子の姿を見る思いがした。

畳間も板間も、壁という壁は書籍で埋め尽くされており、特に板間の掘り炬燵の近辺はずらりと勢揃いした日本の古典文学によって囲まれていた。この密度の濃さ。掘り炬燵の前には小さな窓があり、そこが唯一の風穴と思しき箇所だった。白洲正子はきっと執筆をする際に、自身の背中に先人たちの圧力を感じていたであろう。自らの筆がいくらか創造的であろうとするとき、周囲の書物から発される先人たちの眼差しに耐えなければならなかったのであろう。その忍耐力と、今自分の目の前に新しい風景が立ち現われようとしていることへの強靭な信念こそが、一流の物書きの条件なのだろうと、そのとき思った。本当に一流の物書きとは、この世には超一流の物書きが古今存在し、自分がこれから放とうとしている言葉はその世界の住人たちの目にどう映るものなのかを、自己検証とも他己検証とも分からない方法で確かめようとするのだろう。言葉はそうした検証作業を経てはじめて紡がれていく。この意味で、先人との触れ合いは単に「読む」ことの中にあるだけではなく、「書く」ことの内にも見出される。白洲正子の書斎はそれを体現しているように思った。

しばらくその濃密な空間に浸ったあと、そこからまた和洋の住空間に出てみるとなんだか映画を一本見終わったような充実があった。満足のいく一日を送るのに十分な時間だった。