1973年9月8日 バンコク
アテネ以来ニコン2台にレンズ3本とストロボだけなら気にする重量ではなかったがストックで購入したハッセルとレンズ4本にマガジン他が意外にかさばりバックパックと機材を会わせると相当な重量オーバーだった。
その為機材は全て身に付けて搭乗していたので出国時のボデーチェックは毎回ドキドキだった。
デリーで過激派と間違われた時も全身に爆発物を巻き付けているテロリストと変わらないのでカービン銃片手の兵士に両腕掴まれた時は語学力的にもマックス慌てた。
それに比べ入国審査では法律違反も無いので何の心配も無かった。
唯一の心配はインドへのカメラ持ち込み制限がたった1台のみの為何か言われたらボンドしようと思っていた以外何事も無くバンコクでも観光ビザを取得できた。
と、思っていた。
Baggage Claimのターンテーブルで自分のバックパックをピックアップして荷物の内容検査台に並び順番を待っていた。
自分の番になりテーブルに進み審査官の指示でバックパックのひもを緩めていると2~3人の審査官が僕の周りに集まって来た!
「入国審査事務所でお話したい事があるので、こちらに来て頂けますか?」
「何か?」
「こちらにお願いします」
と審査官に前後を挟まれて長い廊下を歩かされ、入国審査官事務所の一室に通された。
少し大きめのデスクと来客用の椅子があり管理職風の男が
「お前は男前なのになぜそんな汚い格好をしているのか? この空港には私も利用している腕の良い理髪店があるからもっと奇麗になれるぞ」
とか、たわいのない会話をしだした。
荷物内容検査のカウンターを離れたとたん他の職員が僕のバックパックを抱えて反対方向に歩いて行くのを見たので、間違い無く麻薬や違法薬物所持の尋問だと思った。
サングラスをかけてウェストにはフランスレジスタンスの手榴弾ベルト巻いて、踵に麻薬キャリングケース加工も可能なアフガンブーツ履いてアフガニスタン、インド、ネパールと回って来るヒッピーもどきなら何処かにハシシケーキの欠片やグラス(マリファナ)の残りが出て来る可能性が高いと思うのは仕方が無いが、その手の誘惑を避けて旅を続けたので万が一にも拘束される事は無いと思って検査官と日常英会話を楽しんでいた。
4~50分程すると若い検査官がバックパックを持って入室して来た。これで開放だ!楽しい経験だった。
「バンコクは良い町で、上手い床屋もいっぱい有るからぜひスッキリして良い旅を」と念を押されて事務所を後にした。
美食の国タイで何を間違えたかマレーシア料理店で料理のチョイス・ミスでその晩は大失敗のバンコク(晩酷)だった。
ムエタイは今も昔もタイの国技。スケジュールがあればぜひ見たかった。