好きが嫌いか
考えるではない
好きなら自然とやりたいと思うし
長く続く
周りが好きだとか言ってても
自分1人の時に手を出そうも思わないなら同調にすぎない
好きなことは自分が楽しいと思えること
それには
適正なステップアップができるか
もしくは自己肯定力が必要
例えば料理が楽しいと思えるかは
厚焼き卵を作るとして
卵を割れる、使う食器を迷わず選べる、巻くことができる、味付けができるということで
殻が入っちゃったとか、使いたいお皿が取りづらいところにあるとか、1回やり切るまでにつまずきが多いと、次やるのが面倒くさくなる
他者からすれば、料理する前に片付けたら?とか簡単に言うが、取捨選択ができないとかだと片付けもできない、しわ寄せで料理ができない
食器を出すタイミングでどうしようが発生するが、それ以外の過程は滞りなくできたのなら、また作りたいになるだろう
大人になると、やろうとする事が複雑化するがゆえ、単に料理という一言で表しても、好きになるにはたくさんの苦手を克服していかなければならない
だから、工作が好きかではなく、まだ目標点が小さくハサミが使えるかなどと言ったことで済む子供のうちに、いかにできることを増やしておくかはとても重要だと思う
また、滞りなくできたなら料理ができたとしても、美味しいと思えないと楽しめない
他人が言ってくれるにも、他人に出す不安を除かないといけない
子供においては、小学校に入れば通信簿やテストの点数など、評価が始まるが、幼児段階では正解も評価もない
ただ、ハサミで何か切れるか、鉛筆で線だろうが丸だろうがかけるかでしかない
それに対して、自分でよし!これでオッケーと思えるか、または、他者が褒めてくれるかで、やるようになるか否か
学校では勉強は評価してくれるが、いわゆる趣味といったものは自分で見つけることになる
その時必要なのが、何かしらでやりたいと言う思いが芽生えるまではいいが、その後に手を出した時できるかが発生するか
発生して、自分にあったステップアップを繰り返すことで関わる時間が増える
スキルが上がらないと飽きてしまう
例えばサッカーに興味を持った時、蹴っておもったほうに行けば楽しいが、どんなに好きでも思い通りにボールが動かなければ見る専門になる
たとえ見る専門になっても、ルールや選手のことを覚える能力がなければハマるにはならない
時間潰しはあるだろうが、楽しみで仕方ないまでには到達しない
もちろん、好きな選手はいないけど、恋人が好きだから恋人の影響でといった好きはあるだろう
それはあくまで、恋人と一緒に見るからで、恋人がいなかったらおそらく見ない
記憶力があれば、1人でも見るようになるとは思う
あと、要は出来ているか、上手かではなく、自信をもってすごいでしょ!と言える方が誉められる可能性は高い
事実も大切だけど空気を作るってやつ
言い換えれば、誉めてくれる先生を探す 調子こかせることで自信になるから、下手でも数重ねればうまくなる
とりあえずは、下手でも趣味と言えるものはできる
もちろん、チームとしてとか好きかだけでなく向上を求められる場合は、褒めることでできるからやらないとする人もいる
それはただ続けている趣味でしかない
好きかどうかを基準とするならば、できるから好きと、好きだからついついやるの2種がある
ついついやるは本当に好きな事
子供時代に何するか
適切なステップを踏めるかは
ものすごく大切なことだと思う
だから子育てに力を入れたいし
私に趣味がない
時間潰しはあるけどと思うから
子供と一緒に基礎中の基礎
スモールステップをしていけたら
何十年後かには趣味が見つかるかもしれない
ただ、時間は有限だし
習得するまでに回数を要する人は
的を絞ることは必要だと思う