茨城県常陸太田市の十国峠・智教院の白梅・日立灯台・日立港のおさかな市場 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

 この日は、茨城県常陸太田市に出掛けました。茨城県には、「日立市」以外に「常陸大宮市」と「常陸太田市」があります。「日立」と「常陸」は字が違いますが、発音は同じです。私は、「常陸大宮市」と「常陸太田市」を取り違えて、よく間違えます。今でも 書いているうちに混乱して分からなくなります。この日は、まず「常陸太田市」に向かいました。「常陸太田市」に「十国峠」と申す「ロマンチックな峠」があると言うので、「十国峠」を目指して、車を走らせました。「峠」とは、山の上り坂と頂上と下り坂です。「十国峠」を目指して行くと、だんだんと「坂」を登って行きます。長い登りの坂です。「十国峠」の上り坂は長いです。峠の頂上の少し手前で、車を降りて 記念撮影です。家が何軒かありますね。人が、十分住んでいます。

 同行の橙色子さんが、何か落ちているものを探しました。イガのとげとげの付いた「栗」を探しました。橙色子さんは、時々面白いことをして下さります。もっといろいろ面白いことをして戴きたいのですが、このブログが不人気になりますので、よくわきまえています。

 また「車」を走らせます。やがて、峠の山頂に着きました。人気がありませんね。峠の頂上には、「十国峠」と書かれた看板が立っていました。人気がありません。車から降りて、遊ぼうとも思いましたが、気味が悪かったので、車からは降りませんでした。しばし、「看板」を眺めて、立ち去ることにしました。その先も、平坦で「十国峠の山頂」でした。やがて、峠を降ります。道は舗装されていて、運転は安全でした。

 「峠」を降りていきます。暫くすると「智教院」と言う「寺院」の案内がありました。「常陸太田市」の山奥の寺院です。「寄ってみましょう!」

 「白い梅の花」が咲いていました。満開です。私と橙色子さんは、車を降りて、「智教院」の境内に入ります。「高麗山 薬泉寺 智教院」と書かれています。「高麗山」とは、半島の「高麗(こま)」から、昔、人々がやって来たのでしょう。江戸時代には、「高麗」からの難民を江戸幕府が受け入れて保護したのです。「半島」では、長い間 戦いは続きました。敗北した「高麗」からは 大勢の難民が日本にやってきました。(西暦716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高麗からの渡来系移民1,799人を武蔵国の一部に移し、高麗郡を設置したとされます。初代郡司は高麗若光で、666年に高麗の副使として天智天皇に貢ぎ物を捧げています)

埼玉県には「高麗郡(こまぐん)」という地名がありました。現在では いくつかの市になっています。

 智教院」で時間を過し、次に行くことにしました。

 「海」の方へ行ってみましょう。「日立市」に行きましょう。暫く走ると、「海」が近くなってきました。「灯台」が見えました。この「灯台」に寄ります。この灯台は「公園」の中にあって「日立灯台」と分かりました。高台にあります。白亜の灯台です。沖行く船を、長い間 見守って来た「灯台」です。太平洋は、遮るものがないので、光は遠くまで行きます。私と橙色子さんは、記念撮影です。

 また先に進みます。車は 高台の道を進みます。「海」が見えます。この海は「日立港」です。貿易の港でもあり「漁港」もあります。この「漁港」に水揚げされた「新鮮な魚介類」が、「日立おさかなセンター」で食べられます。丁度 お腹も空いたので、良さそうな店に入りましょう。

 「浜焼」の店に入りました。新鮮な魚介類を焼いて食べます。

 焼けました。「ウッ!美味しい!」新鮮な魚や海老や貝を焼いて食べると、こんなにも美味しいものなのですね!

 二人で舌鼓です。こんなに美味しい「浜焼き」は初めて食べました。

 食事が終わって、千葉に帰ります。遠いですね。3時間近く掛りました。でも楽しかったです。

 

 

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