今回はまた追加で映画を見て気が付いた事
小龍ちゃん達の映画鑑賞の様子などを載せますね。
(今回は多少ネタバレも含みます)

小龍ちゃんたちは最近鬼滅の刃の映画鑑賞にはまっています。
私と8月に2回鬼滅の刃を見に行った後、
9/11にお客さんの家の小龍ちゃんの所で
鬼滅を見に行く話があったときには
家の一部の小龍ちゃん達が「鬼滅見るの~」と言うので
一緒に連れて行ってもらって映画鑑賞していました。
その後帰ってきても鬼滅の刃の感想をみんなで言い合い
きゃっきゃと盛り上がっていました。
大好きな映画なので飽きないんですね(´▽`*)
更に9/27に朝台所にいると、家の小龍ちゃん達の一人が
「みやちゃんっ、あのね~今日はお出かけするの~」と言ってきました。
私が「えっ?どこ行くの?」とびっくりして聞くと
「○○さんとこ~、お呼ばれしたのっ♪」と嬉しそうです。
9/11にお客さんが映画に連れて行ってくださったので
その時に親しくなった小龍ちゃん達に
お誘いを受けたそうです。
(鬼滅の映画を見るために
小龍ちゃん同士で
「今日はみんなで鬼滅見るから一緒に見ようよ~」
「行くっ楽しみ~♪」とやり取りしている姿は
なんかほほえましいですね(´▽`*))
それで家の小龍ちゃんの一部が
「行ってきま~す♪」と元気に出かけていきました☆
映画を見た後は、興奮が冷めなかったのか
その方の家の小龍ちゃん達と家の小龍ちゃんたち同士で
『鬼滅の刃』の登場人物になりきって
チャンバラごっこをして遊んだそうです。
思い切り遊んだ後は床に座って、
『鬼滅の刃』の感想で色々盛り上がっていました。
「あの場面、どう思った?」とか「僕はここはこう感じた」といった風に、
お互いの意見を出し合い、内容についての話が尽きない、
とても楽しい時間を過ごしたようです♪
一晩お泊りして翌日の朝、
楽しそうに鬼滅の話をしながらわいわい帰還してきました。
「4DXでまた見に行きたい」と話していまして。
どれだけ鬼滅好きなんだか( *´艸`)
と、こういった経緯から
映画にもう一度行く事になったんです。
27日に映画に行った子達が、映画に行く前日に
行っていない子たちに
4DXを見るときの注意点を
「あのねっ、ここはこうで、ああで」と
熱を込めて説明していました。
色々説明したくなるほど楽しみにしていたようで、
説明の最後に「明日楽しみ~」「楽しみだね~♪」と、
きゃっきゃとしながら
話していたのが可愛かったです(´▽`*)
9/30
映画当日朝も楽しみすぎて
「神様~僕たちね~今日は鬼滅見てくるの~♪」と
神様にまでご報告しているのも
ほほえましかったですよ✨
神様が(アメノミナカヌシ様かと)
「そうか、良かったね、楽しんできなさい」と
微笑みながら話されたので
小龍ちゃん達も「はぁ~いっ♪」と
元気にお返事していました。
映画館に向かう途中も小龍ちゃん同士で
「楽しみだね~♪」「うんっ楽しみ~♪」と
すごくわくわくしていました。
大好きな鬼滅の映画を見るためか
いつもより小龍ちゃんたちの
声が良く聞こえるので
余計わくわく感が伝わってきました。

映画が始まると椅子が動いて無限城を下に落ちていく感覚や、
風が吹いてくる感覚の所で、「きゃあ~♪たのし~いっ」
「おもしろ~いっ♪」ときゃっきゃと楽しそうにしていて
私も可愛い小龍ちゃん達にほっこりしながら
いつも以上に笑顔で楽しんじゃいました☆
映画の中盤までの細かいシーンの会話は
4DXの感覚を追うのと映画内容に集中していて
何を話したかは覚えていませんが
善逸が「漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)」を出した時は
「龍だ~♪」と小龍ちゃん達は大変盛り上がっていました✨
その後の猗窩座との戦いが始まると
一番テンションがあがったようで、
男の子小龍ちゃんたちは
あかざが「破壊殺・滅式~」と叫ぶと
「はかいさつ、めっしき~!」と真似していました。
その後も
「あっかざっ、あっかざっ、あかざ~やれ~!」と
あかざ応援の合いの手を入れていまして、
「あなたたち、あかざは敵よ?」と
思わず突っ込みいれちゃいました(笑)
私の声を聞いた女の子たちが今度は
「炭治郎君っ、頑張れ~っ」と応援を始めました。
いつも女の子たちは『あかざさんlove』な感じでしたので
「えっ?あなたたちは『あかざさん好き』って言っていたのに、いいのっ?」
とつい、さっきとは真逆の突っ込みいれてしまいました(笑)
(炭治郎には「君」を付けて呼んでいるのは
危なっかしく感じるから?
でも主人公は相変わらず弟扱いな感じがありますね)
その後義勇さんが「理解した!」と考えていたシーンで
小龍ちゃん達が皆で
「義勇お兄ちゃん、りかいした~」「りかいした~」と
話していて、
つい映画見ながら笑っちゃいました。
何を理解したか分かっているのかな?
(どうも義勇さんは小龍ちゃん達には「お兄ちゃん」として
見られているようですね)
最後の方のシーンで
恋雪ちゃんが「おかえりなさい、あなた」と言うところで
女の子達はぐっと心をつかまれたようで
じーっと静かにかたずを飲んで映像を見つめているようでした。
男の子達は静かでよく分かりませんでしたが
同じように釘付けだったのだと思います。

全部終わった後に
小龍ちゃん達皆で「楽しかった~♪」とわいわいしていて、
家に帰ってからも何度も「楽しかったねっ」「よかったよね~」と
色んなシーンを思い出していたようで
楽しくおしゃべりしていました。
翌日の朝も神様に小龍ちゃんたちは話しかけていました。
「神様~、すっごく楽しかったの~✨」と嬉しそうに話すと
神様が微笑んで小龍ちゃんたちの頭をなでながら
「そうか、良かったね。
次回映画を見る時はうちの守護の
子達も連れて行ってあげて欲しい」と
話していてぎょっとしました。
まさか神社の守護さんたちとも共に映画を鑑賞することに
なるかもしれないとは。
何の映画がいいか考えちゃいますね(^▽^;)
実は今回で鬼滅は止めて違う映画を見ようと思っていたところでして。
他の映画でもいいのでしょうか?💦
でも映画の指定はされておられなかったので
小龍ちゃん達が楽しめる映画を共に見るのがいいって
事かも☆
守護さんたちは陽気を減らさないように神社内では
時間のある時は
将棋または碁をしたり、かけっこや鬼ごっこ、
(将棋や碁は先読みで勘を鍛えるのにいいですし、
かけっこも鬼ごっこも機敏さや五感を鍛えるのに
必要な修行を兼ねた遊びのようです)
お酒を楽しんだりもされているので、
そこに映画鑑賞が加わるのもありなのかも知れませんね✨
相変わらずの猗窩座人気ですが、
小龍ちゃんたちが猗窩座を好きなのは
名前の意味にも関係するかもしれません。
猗窩座は元の名前が「狛治」で
恋雪ちゃんのお父さんの慶蔵さんも狛治に
「お前はやっぱり俺と同じだな。何か守るものが無いと駄目なんだよ。
お社を守ってる狛犬みたいなもんだ」と笑っていたように
家を守護する狛犬のような存在が「狛治」で、
鬼舞辻無惨につけられた「猗窩座」の名前も
「役立たずの狛犬」の意味があることからも
小龍ちゃんたちは狛犬に対して親しみを感じていて
余計応援したくなってしまうのかも知れません。
でも猗窩座の人間時代の悲劇を見ると
応援したくなる気持ちもすごく分かります。
龍として人間を助けたいと思う純粋な気持ちからも
あかざを応援していたのかも知れません。
ではここからは感じた事と考察をAIも使って載せますね。
『鬼滅の刃』の主要な登場人物たちには、
日本の神話や信仰、特に「浄化」を司る存在のイメージが
深く織り込まれているようです。
竈門禰豆子ですが、「禰」が祖先の霊を祭ることを、
「豆」が魔を滅する意味を持つことから、
彼女はどこか巫女をイメージさせます。
彼女の血鬼術「爆血(ばっけつ)」が鬼にのみ効き、
彼らを焼き払う(浄化する)能力であることは、
「魔を滅する」という名前にしっかりと繋がっています。
(魔を滅するという部分は前回の豆龍ちゃんを思わせますね)
さらに、彼女の名前「ねずこ(寝ない子)」に反して
長く眠っていたことは、
通常眠らない鬼が眠ることで⦅鬼と人間の境界(はざま)》にいるという、
彼女のギリギリの状態を象徴しているように思え、
名前の持つ意味の深さを感じさせます。
次に主人公の竈門炭治郎は、「火と水を治める」意味を持つ名前を持ち、
代々「ヒノカミ神楽」という神事を継承する家系の出身です。
この竈門家自体が、竈の神(火の神様)を
奉納する神官や巫女に近い位置にいるとも考えられます。
彼の使う「火」と「水」の呼吸は、どちらも浄化の意味合いを持つ点も、
この設定を裏付けています。
(ここからは名前の意味は抜いて考察しますね)
また、我妻善逸も、
その技名に「漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)」のように
神様の名前を持ち、
この技を発動した際に、龍の形がはっきりと現れる描写も、
雷神=龍という神話的なイメージを強く連想させます。
無限城以前、善逸が「眠る」という無意識の状態になることで、
本来の臆病な自我から解放され、内に秘めた「神速の力」を
引き出す姿は、まさに神おろしによって
トランス状態(変性意識状態)に入り神意を伝える
男性の巫女(おとこかんなぎ)を思わせます。
次に、
嘴平伊之助と神様との関連性は、
彼が常に被っている猪の頭に象徴されています。
この猪の頭は、日本の山岳信仰において、山の神様の使い(神使)や
神の眷属を意味するものです。
実際、特定の神社では魔除けとして狛犬の代わりに狛猪(こまいのしし)が
境内に置かれ、神域を守護しています。
したがって、伊之助の存在自体が、古来より日本に根付く山の信仰と、
それに仕える神聖な存在のイメージを通じて、
神様との深い繋がりを持っていると言えるのです。
こうして見ると、吾峠呼世晴先生は主人公周りの主要な仲間たちに、
意図的に神官や巫女、神の眷属といったイメージを重ねていたと
考えられます。
『鬼滅の刃』は、表面的なバトルだけでなく、
日本古来の信仰や神話に
裏打ちされた深いテーマを持つ物語なんですね。
また小龍ちゃんたちが特に『鬼滅の刃』を好むのは、
本物の鬼はしっかり退治しながらも
『傷ついた人間が鬼になったときは、
その鬼になった人間にも救済がある』というのが
あるのではないでしょうか。
現代社会には、まるで「人間から鬼になった」かのように、
人から大切なものを奪い、苦しみを生み出す存在が溢れています。
だからこそ、
この物語が描く鬼退治は、世の中の不公平や苦しみに共感する人々の
心に響きます。
作中の鬼には、自ら望んで鬼になった者もいれば、
やむなく鬼になってしまった者もいます。
観客は、無意識のうちに「鬼のような人間」や「自分の中の鬼」を退治したい、
あるいはそこから救われたいという思いを重ね合わせ、
物語に強く惹きつけられるのです。
主人公の竈門炭治郎は、単なる鬼を斬る剣士という役割を超えて、
間違った道を進んでしまった鬼に対しても、
その最期の瞬間に寄り添い、救いや癒しを与える存在です。
その振る舞いは、まるで神様や仏様の代理として、
遣わされた神官や巫女のようです。
同時に、彼がどんなに辛い状況でも涙を流しながらでも
前を向いて突き進んで行く姿は、
困難に立ち向かう
自分自身を重ね合わせて心から応援したくなります。
この共感は、敵である鬼に対しても向けられます。
鬼となった彼らの過去の苦悩や人間の頃の悲劇を知ることで、
彼らを単純な悪として切り捨てることはしません。
むしろ、もし自分が彼らと同じ立場に立たされたならどう思うかと深く同情し、
その運命を悲しく感じずにはいられないのです。
特に印象的なのが、鬼が消滅する際に現れる地獄の炎の描写です。
この炎には、穢れや災厄を祓い、古い自分を焼き尽くして心を清めるという
「火の浄化」の思想が深く宿っています。
炎の手前で鬼が元の人間としての心と姿を取り戻し、
炎がまた大きく映る映像は
観客自身にも炎を通じた「浄化」と「救済」のイメージを強く届けます。
※追記
炭治郎には火と水の呼吸があり、どちらも浄化の意味を持ちます。
地獄の炎に「火の浄化」の意味があるとしたら
その時に心を取り戻した元鬼や、観客が涙を流す事で「水の浄化」を
しているということになります。
泣くと心がスッキリするのは、「カタルシス効果」という
心の浄化作用のおかげです。
涙は、体内のストレス物質を排出し、
高ぶった感情や緊張を和らげてリラックスさせてくれます。
『鬼滅の刃』の炭治郎がよく泣くシーンも、
作者が意図してかは分かりませんが
この心の浄化を表現していたのかもしれませんね✨。
そういえば紅龍(炎)青龍(水)の
二つの龍がそろって能力を使うことで
その場に清浄な聖域を作り出すことが出来ます。
そういった事からも
火と水が揃うと浄化の力が増すと考えられます。
こういった「鬼滅の刃」全体に含まれる
「火と水の浄化」と「救済」のメッセージが、
観客の心の癒しや陽気を増やす効果をもたらし、
多くの人々や、
高次の存在からも支持される
大きな理由となっているのだと思います。
最後に
今回の考察は「浄化と救済」に焦点を当てたものですが、
もちろん、アニメ映像の素晴らしさが観客を劇場に
呼び寄せた最大の要因であることは間違いありません。
アニメ制作会社ufotableの日々の大変な努力と、
作者である吾峠呼世晴先生の緻密な設定が、
この映画を全世界的な成功へと導いたのも確かな事です。
小龍ちゃんたちと共に、
この素晴らしいアニメの第二部、第三部が公開されるのを
心から楽しみに待ちたいです。
以上です。
今回も読んでいただきありがとうございました。
次回は多分プラムちゃんとこのかちゃんのお話の続きになります。
どうぞまたよろしくお願いします^^
