ショートストーリー325 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「マスター、この店始めて、どれぐらいなの?」
薄暗いカフェバーのカウンター席に、気だるい感じで座っているケンジが訊いた。

長い白髪を後ろで束ねた細身のマスターが、サングラスを指で上げながら答えた。
「そうですね~、両手両足の指全部でも足りないぐらい昔ですよね。。。」

「はぁ~、もう20年以上もやってるってこと?それは驚きだなぁ。20年かぁ~」ケンジは、頭上のランプを見つめながら、感慨深げにそう呟いた。。。

「20年前か、、、俺は、まだ駆け出しの役者だったな。。。大部屋の役者。よくエキストラと間違われてたっけなぁ」

ケンジは誰に語るでもなく、ただ思い出の扉を開けたとたんに、言葉が口を突いて出てきたのだった。

カクテルグラスを磨きながら、その言葉を聞いていたマスターが、チラリとケンジを見ながら言った。

「時が経つ速度は、皆平等の筈なんですがねぇ~。どうも、ここ10年間は、速度が上がったような気がしますよ」

その言葉に、ケンジは小さく相槌を打ちながら、オーロラという名のカクテルに唇をつけた。マンダリンの甘い香りが、ゆっくりと鼻から抜けてゆく。。。

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「いらっしゃい...」マスターが、かすれた声でそう言った。ケンジは何気なくドアのほうに目をやると、30代前半とおぼしき美しい女が1人、立っていた。


「お好きなところ、どうぞ」マスターに、そう促された女は、後ろのテーブル席には目もくれずに、ケンジの隣りにやって来たのだった。

ケンジは、黒いカウボーイハットを指で上げて、立っている女の顔を見上げた。すると女とケンジの視線が同じタイミングで重なり合った。女は、その瞬間、冷めた笑みを浮かべると、すぐに視線を外したのだった。


「マスター、サイドカーちょうだい」ケンジは、辛口のカクテルをオーダーした。自分の中の曖昧で青臭い感情を、ブランデーで潤したい、そんな気分だった。

女はパープルのストールを肩から外して小さく丸めると、ケンジから一つ座席を開けて座った。

「ご注文は?」マスターの低く渋い声が、ジャズのBGMとリンクしながら女の耳に届く。。。

「カンパリ・ソーダ...ください」肩に掛かった髪を、手で背中に流しながら女は言った。

「女が1人、カクテルを飲みに来る...そんなシチュエーションも悪くないな。男も女も、所詮は人間...群れて騒ぎたい日もあれば、ひとり物思いに耽りながら飲みたい夜もあるさ...」

琥珀色のグラスを見つめながら、ケンジは、そう思った。


「あのう...」すると、女が急に声を掛けてきた。ケンジは、シカトされていると思っていたので一瞬驚いた。ケンジは女の目を見て「はい」と返事をすると、次の言葉を待った。

女は、先ほどとは違って優しい目をしていた。どことなく、昔別れた女の瞳に似ていると、ケンジは思った。

「お酒、強いんですか?それ、結構きつめのお酒ですよね?」女は、ケンジが手にしているカクテルグラスを見つめながら、そう言った。

「おいおい、、、会ってすぐに、いきなり説教かよ...」内心、ケンジはそう思った。その思いはケンジの眼差しに雰囲気として現れていた。


ケンジは、わざわざネタを探してまで、相手と関わろうとする人間が、大の苦手であった。

「そこまでして関わりたくなるような人間に、自分が今まで出会っていないからかもしれない」ケンジは、そう思った。

女の問い掛けに、ケンジは苦笑いを浮べながら答えた。
「ええ。きつめのカクテルですよ。それを飲んでいる私は、きっと強いんでしょうね」

「うふふふっ」すると女は、口元を手で隠しながら、声を抑えて笑い出したのだった。

ただ素直に答えたつもりのケンジは、女の笑い声に若干の抵抗感を覚えながらも、決して悪い気分には、ならなかった。いや、むしろ微かな灯火のような温もりを感じていた。。。

「可笑しい...ですか?」ケンジは、女の目を見つめながら、そう訊いた。

「ごめんなさい!だって、訊いている私も、答えているあなたも、なんか微妙にズレてる気がして...うふふふっ、あははっ」

女は、徐々に鎧を脱いでいるように、ケンジには思えた。そして一見、屈託のなさそうな笑顔の奥に、ずっしりと重い過去を内在させているようにも思えた。

「参ったな。。。ズレてる...かぁ。。。ふふふっ」普段からニヒルな自分が、出会って5分も経っていない女の言葉に微笑んでいる...ケンジは、そんな自分自身に少しだけ戸惑っていた。


マスターは、そんなケンジと女を交互に見つめながら、ビターチョコレートが盛られた皿を二人の間に置いた。

「私から、お二人へサービスです」マスターが微笑みながら、そう言った。


「ありがとう...」ケンジが、そう言って、チョコに手を伸ばした時、ちょうど女が差し出した手と皿の真上で触れあったのだった。


その時、壁に掛けられたアンティークの振り子時計が、午後11時を告げ始めた。。。


ケンジと女は互いに見つめながら、手を引っ込めると、また微笑んだ。そして、ケンジが先に皿からチョコを二つ取ると、一つを女に差し出した。

女は手渡されたチョコを見ずに、ケンジの目を微笑んで見つめていた。ケンジも、同じように女を優しく見つめていた。。。


マスターは、そんな二人を気遣うように視線を窓へと向けた。すると、レンガ敷きの歩道に建つ街灯が、季節外れの雪を照らし出していた。。。。





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