私の人生で繰り広げられた(られている)出来事を、書き記してみようと思います。
過去の出来事や今現在起こっている事…
人生はそれぞれに色々あります。
私の人生も私だけの人生…ただ一つの例でしかありません。
私のブログを読んでくれた方々の意見は求めません。
私の人生は私だけの人生だから‥
口は災いの元
「口は災いの元」
昔の人はよく言ったものである。
人間関係では、よく「悪口」とか「陰口」とかいう言葉を聞きます。
人を批難したり中傷する言葉は、心が汚れた人の口から発せられるモノだと私は思う。
心が汚れている人の口から出る言葉が、その攻撃対象となった人の心を深く傷付ける事もある。
子供達の間で起こる虐めや、会社内等で起こるパワハラ…
「言葉の暴力」
心の汚れた人間は「言葉からして思いやり」に欠けている。
人の心を傷付ける行為は、時に傷付けられた人が、その命を絶つきっかけにも成り兼ねない…
言わば「殺心行為」だと思います。
人は肉体的に痛かったら「痛い」と言うし、怪我をしたら血を流す。
でも、人の心の傷は見えないし、叫ばないし、なにより一度傷付くと中々癒えません。
全治〇〇日なんて…世界的名医であってもわかりません。
「口は災いの元」
人の悪口や陰口もさる事ながら、一度発した自分の言葉には、責任を負わないといけません。
魂の篭った言葉は、人を感動させたり、励ましたり、癒したり…
時には、その人が生きる為の原動力(やる気)になるかも知れない…
そして、自分自身もそのプラスエネルギーを受ける。
そういう効果をもたらす言葉を『言魂』という。
心の汚れた人間は、この言ノ葉に魂がありません。
しかも、類は友を呼ぶでは無いけれども、悪事に対して仲間を集め扇動できる能力を持っています。
相手を押さえ付ける為なら、重箱の隅を突いてでも、些細な事まで引き合いに出してまで攻撃を続ける。
そうしていないと、自分自身に安心できないからなのだろうか?
だが、やればやるほど自分自身の立場を、悪い方向に追い詰める結果になる。
人の心を傷付けると、必ずその報いは、因果な形で自分自身に廻ってくる。
「口は災いの元」
奈良の騒音おばさんが良い例である。
「引越~し!引越~し!さっさと引越~し!」ドンドン♪♪
耳に残るフレーズと、あの形相を覚えている人は多いはずである。
騒音おばさん自身…
自分の蒔いた種が元で、家族までもが「引越し」する羽目になってしまった。
裁判でも「心理的傷害を与えた」として有罪になったと記憶している。
ああまで攻撃的なのは異常ではあるが、やり過ぎた代償は相当なモノになって、自分自身に跳ね返っていると聞く。
人の噂話しには、必ず「尾鰭背鰭」が付き、真実が捩曲げられたり、大袈裟になったり、別物とすり替えられたりする。
何気なく発した言葉が、根も葉も無い噂話に展開し、対象(ターゲット)となった人の心を傷付け、疲弊させる。
そして、その人が命を絶ったなら…
想像して欲しい。
「口は災いの元」
今の法律では、言葉による暴力で、相手が自ら命を絶っても、殺人罪には問われないかも知れません。
でも、私は「人を殺す(殺傷する)という行為は、心無い言葉を発すだけで、充分に可能だ」と考えています。
どうか、言ノ葉を大切して正しく使い、一度自ら発してしまった言ノ葉には、責任を持って欲しい。
あなたの言葉は、時として、取り扱いが危険な刃物となり、人一人を殺傷できる能力を持っている。
あなたの言葉は、時として、人を和ませたり、安心させたり、励ましたり、褒めたたえたり、希望を与えたり、やる気にさせたり、元気にさせたり、癒したり…素晴らしい能力を持っているんだよ。
おはよう
こんにちは
こんばんは
ありがとう
失礼しました
ごめんなさい
すみません
また明日ネ
また逢おう
凄~い
大丈夫!
やろう!
行こう!
綺麗~
愛してる
大好き
etc
プラス言葉を意識して、効果的に、積極的に使おうよ!
人を生かすも殺すもあなた次第!
あなたにも、相手にも、必ずプラス効果になるのだから~
「口は災いの元」
覚えておいてネd(^-^)
昔の人はよく言ったものである。
人間関係では、よく「悪口」とか「陰口」とかいう言葉を聞きます。
人を批難したり中傷する言葉は、心が汚れた人の口から発せられるモノだと私は思う。
心が汚れている人の口から出る言葉が、その攻撃対象となった人の心を深く傷付ける事もある。
子供達の間で起こる虐めや、会社内等で起こるパワハラ…
「言葉の暴力」
心の汚れた人間は「言葉からして思いやり」に欠けている。
人の心を傷付ける行為は、時に傷付けられた人が、その命を絶つきっかけにも成り兼ねない…
言わば「殺心行為」だと思います。
人は肉体的に痛かったら「痛い」と言うし、怪我をしたら血を流す。
でも、人の心の傷は見えないし、叫ばないし、なにより一度傷付くと中々癒えません。
全治〇〇日なんて…世界的名医であってもわかりません。
「口は災いの元」
人の悪口や陰口もさる事ながら、一度発した自分の言葉には、責任を負わないといけません。
魂の篭った言葉は、人を感動させたり、励ましたり、癒したり…
時には、その人が生きる為の原動力(やる気)になるかも知れない…
そして、自分自身もそのプラスエネルギーを受ける。
そういう効果をもたらす言葉を『言魂』という。
心の汚れた人間は、この言ノ葉に魂がありません。
しかも、類は友を呼ぶでは無いけれども、悪事に対して仲間を集め扇動できる能力を持っています。
相手を押さえ付ける為なら、重箱の隅を突いてでも、些細な事まで引き合いに出してまで攻撃を続ける。
そうしていないと、自分自身に安心できないからなのだろうか?
だが、やればやるほど自分自身の立場を、悪い方向に追い詰める結果になる。
人の心を傷付けると、必ずその報いは、因果な形で自分自身に廻ってくる。
「口は災いの元」
奈良の騒音おばさんが良い例である。
「引越~し!引越~し!さっさと引越~し!」ドンドン♪♪
耳に残るフレーズと、あの形相を覚えている人は多いはずである。
騒音おばさん自身…
自分の蒔いた種が元で、家族までもが「引越し」する羽目になってしまった。
裁判でも「心理的傷害を与えた」として有罪になったと記憶している。
ああまで攻撃的なのは異常ではあるが、やり過ぎた代償は相当なモノになって、自分自身に跳ね返っていると聞く。
人の噂話しには、必ず「尾鰭背鰭」が付き、真実が捩曲げられたり、大袈裟になったり、別物とすり替えられたりする。
何気なく発した言葉が、根も葉も無い噂話に展開し、対象(ターゲット)となった人の心を傷付け、疲弊させる。
そして、その人が命を絶ったなら…
想像して欲しい。
「口は災いの元」
今の法律では、言葉による暴力で、相手が自ら命を絶っても、殺人罪には問われないかも知れません。
でも、私は「人を殺す(殺傷する)という行為は、心無い言葉を発すだけで、充分に可能だ」と考えています。
どうか、言ノ葉を大切して正しく使い、一度自ら発してしまった言ノ葉には、責任を持って欲しい。
あなたの言葉は、時として、取り扱いが危険な刃物となり、人一人を殺傷できる能力を持っている。
あなたの言葉は、時として、人を和ませたり、安心させたり、励ましたり、褒めたたえたり、希望を与えたり、やる気にさせたり、元気にさせたり、癒したり…素晴らしい能力を持っているんだよ。
おはよう
こんにちは
こんばんは
ありがとう
失礼しました
ごめんなさい
すみません
また明日ネ
また逢おう
凄~い
大丈夫!
やろう!
行こう!
綺麗~
愛してる
大好き
etc
プラス言葉を意識して、効果的に、積極的に使おうよ!
人を生かすも殺すもあなた次第!
あなたにも、相手にも、必ずプラス効果になるのだから~
「口は災いの元」
覚えておいてネd(^-^)
中秋の名月
今宵10月3日は「十五夜」です。
私の部屋の窓から、身を乗り出しすと、ほぼ真上近くに真ん丸い月が見えます。
世に言う「中秋の名月」
毎年12~13回の満月があるのに、なぜか特別扱いされる「中秋の名月」
ウンチク好きの私は、何故「中秋の名月」…「十五夜」と言うのか調べてみた。
一年には「春夏秋冬」の四季があります。
旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり
「一、ニ、三月」は春
「四、五、六月」は夏
「七、八、九月」は秋
「十、十一、十二月」は冬
と分けられます。
そして、それぞれの季節に属する月には、「初・中・晩」あるいは、「孟・仲・季」の文字を付けて、季節を更に細分するのに使いました。
例えば
旧暦の4月は「初夏」または「孟夏」となります。
この季節の細分によれば、「8月」は秋の真ん中で「中秋」または「仲秋」となります。
旧暦は太陽暦の一種だから、日付はその時の月齢によく対応します。
月の半ばにある15日は、だいたいにおいて満月になりますから、「十五夜の月」=「満月」と考えられる様になりました。
そして、古くから日本では、八月十五日の秋の澄んだ夜空に昇る満月を鑑賞する風習があり、この時の月を「中秋の名月」と呼ぶようになりました。
今夜は中秋の名月…
ちなみに来年は9月22日が中秋の名月だそうです。
さてさて、月と言えば、何を連想するだろうか(・・?)
アポロ‥ウサギ‥
私は竹取物語のかぐや姫を連想しました。
この物語に出て来る、かぐや姫の本当の名前を知っていますか?
「なよ竹のかぐや姫」って言うんだって‥
さてさて、ウンチクはこの辺にして、とにかく、今宵の月を眺めながら、今の自分の気分で書き下ろしてみましょう。
今は午前0時を回り、日付は変わって10月4日になりました。
夜空に浮かぶ満月は、ほぼ頭上真上にあり、時々流れて来る雲にも負けず、白く輝いていています。
早々には逢えないあなたも、今夜はこの月を眺めた事でしょう。
私は月を眺めながらあなたを想った。
いつかは二人で肩を並べて、この「十五夜の月」を眺め見る時が来る事を私は祈った。
今宵はあなたも、同じ月を眺めたでしょう。
私にとって大切な人‥
月に願いを…
そんなセンチメンタルな、満月の夜です。
私の部屋の窓から、身を乗り出しすと、ほぼ真上近くに真ん丸い月が見えます。
世に言う「中秋の名月」
毎年12~13回の満月があるのに、なぜか特別扱いされる「中秋の名月」
ウンチク好きの私は、何故「中秋の名月」…「十五夜」と言うのか調べてみた。
一年には「春夏秋冬」の四季があります。
旧暦では三ヶ月毎に季節が変わり
「一、ニ、三月」は春
「四、五、六月」は夏
「七、八、九月」は秋
「十、十一、十二月」は冬
と分けられます。
そして、それぞれの季節に属する月には、「初・中・晩」あるいは、「孟・仲・季」の文字を付けて、季節を更に細分するのに使いました。
例えば
旧暦の4月は「初夏」または「孟夏」となります。
この季節の細分によれば、「8月」は秋の真ん中で「中秋」または「仲秋」となります。
旧暦は太陽暦の一種だから、日付はその時の月齢によく対応します。
月の半ばにある15日は、だいたいにおいて満月になりますから、「十五夜の月」=「満月」と考えられる様になりました。
そして、古くから日本では、八月十五日の秋の澄んだ夜空に昇る満月を鑑賞する風習があり、この時の月を「中秋の名月」と呼ぶようになりました。
今夜は中秋の名月…
ちなみに来年は9月22日が中秋の名月だそうです。
さてさて、月と言えば、何を連想するだろうか(・・?)
アポロ‥ウサギ‥
私は竹取物語のかぐや姫を連想しました。
この物語に出て来る、かぐや姫の本当の名前を知っていますか?
「なよ竹のかぐや姫」って言うんだって‥
さてさて、ウンチクはこの辺にして、とにかく、今宵の月を眺めながら、今の自分の気分で書き下ろしてみましょう。
今は午前0時を回り、日付は変わって10月4日になりました。
夜空に浮かぶ満月は、ほぼ頭上真上にあり、時々流れて来る雲にも負けず、白く輝いていています。
早々には逢えないあなたも、今夜はこの月を眺めた事でしょう。
私は月を眺めながらあなたを想った。
いつかは二人で肩を並べて、この「十五夜の月」を眺め見る時が来る事を私は祈った。
今宵はあなたも、同じ月を眺めたでしょう。
私にとって大切な人‥
月に願いを…
そんなセンチメンタルな、満月の夜です。
秋の空
秋の空を眺めていると、「女心と秋の空」っていう諺を思い浮かべます。
晴れたり、曇ったり、雨になったり
秋の空はうつろいやすいのです。
そんな秋の空模様と移り気な女性の心模様を重ねた諺です。
しかしだよ…しかし…
この諺って、元々は「男心と秋の空」だった…って事を知ってますか(・・?)
広辞苑には、ちゃんと書いてあります
心の変わりやすい例えとして「男心と秋の空」って…
『男性の女性に対する愛情が変わりやすいこと―』
男性の立場から、これを捩って「女心と――」と言い始めたみたい
女性の場合の「女心と―」と、男性の場合の「男心をと――」の意味は少し違うようですよ
女性の場合は、愛情に限らず、喜怒哀楽などの感情の起伏が激しい事や、物事に対して移り気な事を示しています
あなたが今使うとしたら…「女心――」?
「男心――」?
晴れたり、曇ったり、雨になったり
秋の空はうつろいやすいのです。
そんな秋の空模様と移り気な女性の心模様を重ねた諺です。
しかしだよ…しかし…
この諺って、元々は「男心と秋の空」だった…って事を知ってますか(・・?)
広辞苑には、ちゃんと書いてあります
心の変わりやすい例えとして「男心と秋の空」って…
『男性の女性に対する愛情が変わりやすいこと―』
男性の立場から、これを捩って「女心と――」と言い始めたみたい
女性の場合の「女心と―」と、男性の場合の「男心をと――」の意味は少し違うようですよ
女性の場合は、愛情に限らず、喜怒哀楽などの感情の起伏が激しい事や、物事に対して移り気な事を示しています
あなたが今使うとしたら…「女心――」?
「男心――」?