日光杉並街道を通り抜け、被害に遭われた方の家へ向かうも・・・
道路が陥没し川になってました・・・
セフティーコーンの奥が土手になってましたが・・・
多分、臨時の『車止め』でしょうか・・・
う回路を近くの方に聴き、ご依頼宅へ。
住宅は被災を免れたものの畑と敷地内には30センチの粘土質の泥が堆積せてましたI
泥掻きしながら何度も泥の粘りと重さに長靴が脱げる・・・
もしこんな泥流に遭遇したらどんなに鍛錬している人間でも100%流されるだろな・・・
見た目に水位が膝ぐらいの深さの濁流でも底で泥が流れていたら絶対やばそうだ・・・
足をとられ倒れたら、起き上がるのは かなり困難だろう・・・
最悪、溺死I
30人で、約半日かかって掻き出した泥の山・・・
中・高校生のボランティアさんも、たどたどしい足取りで土嚢袋を一緒に運んでくれました。
また、一つ災害現場の教訓を学び・・・
がっつりいい汗かきましたI
作業が終わり・・・ズボンのポケットに入れてあったスマホを取り出すと・・・
「・・・・・あれ???」
ストラップがない・・・
ポケットの奥を探すと・・・ぶっち切れたお守りのストラップが出てきた・・・
このお守りは・・・
徳川家康公を もっとも恐れさせた
眞田幸村公を奉る、大阪冬の陣・真田丸跡地に建てられた三光神社のモノ・・・
家康公の眠る御霊廟のある日光に このお守りはタブーであったのか・・・
歴史が示す因縁でしょうか・・・
今年は家康公没後400年周忌・・・
水害直後に東京都で震度5弱の地震でしたよね・・・
東照宮は江戸を守るために建てれたのは周知の事実・・・
日光も昨年に続く二年連続の水害被害・・・
家康公も 安保法案は国家安寧の妨げになると危惧しての警告なのか・・・???
単に 『安全な地はない。油断するな。』 との忠告なのでしょうか・・・
茨城県筑西市編につづく・・・<m(__)m>