つづき

人を許すということ



人生の中では、ときに「どうしても許せない人」と出会うことがあります。 強い憎しみを抱えていると、憎しみに心のエネルギーを吸い取られ、日々の中に喜びを見出したり、楽しい思いを感じたりすることから遠ざかってしまいます。

 


憎しみは何よりも本人にとって、つらくて苦しい状況を引き寄せているのです。





あるワークショップで、こんなワークをやってみたことがあります。



三百人近くの参加者があり、その多くは会社勤めの男性でした。そのうちの一人が、「うちの上司がひどい」という話を始めました。すると、周囲の人から「うちもそうだ」「私のところも」と、次々と賛同の声が上がります。



「あいつだけは絶対に許せない」と憤る人まで現れました。



そこで私は、全員に会場の中央に集まってもらい、こう言いました。



「ここで大声を出しても、外には聞こえません。皆さん、自分が憎らしいと思っている人に向かって、胸の内に溜めてきたことを思う存分、吐き出してください」



するとそれぞれの口から、ありとあらゆる罵詈雑言が飛び出しました。



「バカヤロー!」「恥知らず!」「死んじまえ!」「おまえなんか、人間性のかけらもない!」

 


皆さん、普段は上品な紳士なのですが、このときばかりは思いつくかぎりのひどい言葉を絶叫します。



始まって十分くらいがピークだったでしょうか。その後次第に言葉が途切れ始め、十五分も経たないうちに、突然、会場全体が静かになったのです。





私は言いました。



「どうしたんですか?もっと言っていいんですよ」



誰も何も言いません。



やがて、一人の方が汗を拭きながら言いました。

 


「上司のことを許せない、上司がいかに悪い人間か、と言い続けていたのですが、だんだん『これは自分のことではないのか』と思えてきたんです。自分の悪いところを指摘し、自分で自分に許せないぞと言っているような気がしました」

 


別の人に尋ねると、その方も同じように感じたと言います。



そこで私は、「許せない人をどうしますか」と問いかけました。



すると、こんな答えが返ってきました。



「他人の中に見ていることは、自分の中にもあるんだなと気がつきました。許せないと思う人こそ、じつは自分がいつも人に見せないようにしている弱点を見せてくれているのかもしれないと思いました」





なぜ、その人のことを嫌いなのか。それをよくよく見つめていくと、その人の嫌いな部分を、自分が持っていることに気づきます。自分の中にあるからこそ、その人を嫌うのです。

 


人間は、自分に都合の悪い部分を受け入れなければ、成長できません。普段は覆い隠している弱さ、絶対に自分の中にはないと信じ込んでいる欠点、これらを認め、一つひとつ受け入れていくことが成長につながります。



大嫌いな人、許せない人こそ、あなたの人間的な成長を促してくれる存在なのです。



実際に、心からそう思うのは難しいかもしれませんが、そういう考え方もあるのだと頭の片隅に入れておくと、すこしずつ見方が変わってきます。


 



「あの人は、どうして私にあんな態度をとるのだろうか」と考えてみます。

 


「自分の中に、同じ要素があるのだろうか」と顧みます。

 


たとえば、「なんて意地悪な人だろう」と思ったとすれば、「自分の中にも意地悪なところがないだろうか」と振り返ってみるのです。すると、たいてい誰かに対して意地悪をしていることに気づくはずです。



そのこと自体、「いい・悪い」を論じるつもりはありません。



意地悪は、一見悪いことのように思えます。しかし、意地悪されることによって、「こんなことで他人に振り回されてはいけない。もっとしっかり自分の軸を持つべきだ」と、意地悪に負けずに生きていく強さが養われるかもしれません。



嫌いな相手によって、成長が促進されるということも起こりうるのです。





「絶対に許せない」と思っている人は、「成長しなさい」「自分の弱さを見つめ、受け入れなさい」と教えてくれる存在です。

 


表面的には「あんなひどい人」と思いますが、じつは深いところでは助けられていることがあります。どんな関係であれ、お互いに必要だからこそ出会っているのです。




鈴木秀子『人はいつか死ぬのだから』

PHP研究所

いっしゅうまわって

また、ここに、もどった

すごい!

(‘◉⌓◉’)


下矢印

下矢印


鏡の法則





人を許すということは

自分自身を許すこと


どんな自分も許し、受け入れ、愛する

ゲドは杖をとりおとして、両手をさしのべ、自分に向かってのびてきたおのれの影を、その黒い分身をしかと抱きしめた。光と闇は出会い、溶けあって、ひとつになった。




ル=グウィン 清水真砂子訳

『ゲド戦記1』岩波書店





神さまは、私たちに、 

いつ、どこで、何が必要なのか、

全てを知っていらっしゃいます。


ですから、何時でも、

私たちに必要なものは、 

既に周りに準備されています。


一人さんは、こうも仰っています。


神さまが与えてくれないものは、 

いらないものなんです。


それがわかっていないから、

三倍も五倍も努力してもできなくて、 

ダメ人間だと自分に烙印を押してしまう。




いっぷくからのありがとう

「世の中の仕組み」

23/12/09





ブッダは2,500年前に

この世の苦しみ、悲しみの原因は、 

自分の思いどおりにならないこと

と悟りました。


思いどおりにならないことに対して、

それに逆らって

なんとかしようとするからこそ  

人は悩み・苦しむのです。


だから、お釈迦様は、 

こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。


それは、

頑張る生き方ではなく 

楽に生きる生き方です。


・人に頼って

・人に甘えて

・あるいは人に頼られて

・時には人から甘えられて


自分の思いどおりに、

世の中を変えようとしないで

それを受け入れて

こころを楽にして生きてゆくこと。


そして、最高の形は、

「ありがとう」と、感謝すること

だったのです。


・水を飲めることに「ありがとう」

・息ができることに「ありがとう」

・食事できることに「ありがとう」

・仕事があることに「ありがとう」

・家族がいることに「ありがとう」

・友達がいることに「ありがとう」

・話ができることに「ありがとう」

・歩けることに「ありがとう」

・病気でないことに「ありがとう」

・生きていることに「ありがとう」



そもそも神様は

私たちが生きていくうえで、

必要なものは 

全部、準備してくださいました。


神さまが準備してくださったものは

・健康や

・お金

・幸運 それだけではありません。


・苦しみ

・悲しみ

・貧困

・病気 も一緒に置いてくださいます。


それは、その状況が、

私たちの魂を磨いて、

輝かせてくれるからです。


本人が超えられないものは、置かれません。


人よりもつらく、悲しく、苦しい状況は

神様に見込まれているからです。



幸せは

すでに自分を、 

山ほど取り囲んでいるものです。 

神様が準備してくれていたものです。


それに、気がつけるかどうか。

ただそれだけの違いのようです。


そうブッダは、

般若心経で教えてくださいました。




いっぷくからのありがとう

「神さまの教える諦めの心」

24/05/23





私たちは小鳥たちのように、

運命の流れに身を任せ、

全てに「ありがとう」と

感謝して生きていれば、

上手に生きられるようになっています。




いっぷくからのありがとう

「不登校の子供たち」

24/05/13





もう、変わらなくていい。

元々の自分に戻ればいい。


無駄な力を抜いて、

まっさらな元々の自分に戻れば、 

勝手にうまくいき出す。


あなたは、

あなたという人だからいいのだ。




大木ゆきのオフィシャルブログ

「幸せって意外にカンタン♪」

「もう変わらなくていい」

24/02/07

あたまのなかで整理するため改行色づけ・一部略