中学受験の今昔③ | 2022中学受験を目指して -A stitch in time saves nine-

2022中学受験を目指して -A stitch in time saves nine-

2022中学受験男子を持つ父のブログ
淡々と息子の学習(主にテスト)の記録をつけていくブログです。

昨日一昨日の記事の続き。ここまでは大部分が四谷大塚の思い出話だったが、一般的な話も少ししようと思う。

 

8 保護者の受験生への関わり方

 

昔の中学受験では、今ほど保護者が関わっていただろうか。もう少し希薄だったように思う。

 

自分の場合、親は授業料や受験料を出すこと以外中学受験にノータッチで、日々の勉強やスケジュール管理、自分の得意不得意の分析、志望校選定、志望校の出題傾向の分析など、すべて自分でやっていた記憶がある。願書も確か自分で大部分書いた。四谷大塚では生徒の人数が多すぎ、講師に個別の相談をする状況ではなかったし、準拠塾に通っていればそこの先生に尋ねたり相談したりできたのだろうが、それにも行っていなかったので、自分で合格体験記や中学受験案内などを読んで考えながら計画をたてたり、志望校を検討したりしていた(ちゃんと学費まで確認していたと思う)。とはいえ、今にして思えば、当然ろくな分析や計画、管理ができているわけがないのだが、やはりそれでも何とかなってしまったのが当時の中学受験である。

 

さすがに自分の例は当時でも特異だと思うが、今のサピックスのカリキュラムは少なくとも親(あるいは家庭教師)がある程度スケジュール管理しないと、ちょっと優秀な子供でも自分だけでは対応しきれないだけの分量があると思う。また、志望校や受験日程も多様化しているので、今では親の関与なしに志望校を選定することは難しいだろう。

 

また、自分もそうだが、父親の関与が増えているのも現代の中学受験の特徴だと思う。専業主婦が多かったせいもあるだろうが、我々の時代はまだ父親は仕事さえしていればよく、家事・育児にはあまり関わらないという風潮が多少なりとも残っており、その延長として子供の中学受験に父親がイニシアチブをとるようなことも少なかっただろうと思う。今でも多くの家庭では母親がメインでリードしているのだろうが、共働き家庭も増え、父親の育児参加も昔に比べれば積極的になってきているので、父親の中学受験への関与が増えていくのも自然の流れのように思う。

 

9 1月校受験

 

今日から栄東の入試スタートで、今年もたくさんの首都圏受験生を集めているようだ。

 

かつては千葉・埼玉(あるいはその近隣の東京)在住の受験生を除き、1月校を腕試しに受験する、あるいは合格を確保しておく、という戦略はなかったと思う。つまり、千葉、埼玉の学校を通うつもりなく練習のためだけに東京からわざわざ受験しに行くという風潮はなかったのではないか(ただ私は自分で受験スケジュールを組んでいたので、単に自分が把握していなかっただけかもしれない)。今のように、渋幕に相当するような進学校もなかったし、地方の進学校の東京受験会場というのもなかったので、難関中学受験者にとって適切な1月受験校がそもそも存在していなかったように思う。

 

灘や(かつて最難関レベルだった)ラサールを腕試しに受けに行くというのは当時から少数いた(私の友人にもいた)が、少なくとも私の知る限り、今のような塾主催の灘ツアーなどはなかったのではないか。(追記:当時もTという塾では灘ツアーがあった旨のコメントを頂いた。)

 

今は1月校受験をむしろ塾が勧めるという話を聞いて、結構びっくりした記憶がある。栄東中学は成績まで出るらしいし、むしろ優秀層向けに1月の立ち位置確認の試験という意味合いまで生まれたりして、隔世の感がある。

 

10 2月の併願戦略と国立校の抽選

 

昔の国立校は抽選が実施されていた。今よりも志望者が多かったことによるが、1次の抽選で2倍~3倍くらいの倍率がついていたと思う。

 

国立校はいまと同じように2月3日に2次の筆記試験があったが、1次の抽選に通るかわからないので、第一志望にはしづらいところだった。

 

もちろん、当時から筑駒は最難関だったし、筑附や学芸大の附属4校も当時は御三家に匹敵するくらい難しかったように思う。実際に御三家と筑附・学芸大附属のどちらも合格して、後者を選ぶ例は多々あった(私の友人でもいた)。おそらく学費の面と、当時は共学の難関校が国立のこれらの学校しかほぼなかった(あとは慶応中等部か)ので、共学校志望者の優秀層は、いきおい国立中進学を志望することになったのだ(もっとも、当時は今ほど共学志向は強くなかったと思うが)。従って、本来は第一志望にしたいくらいの学校群なのだが、抽選があるとそこだけを目指すという訳にはいかない状況だった。

 

従って、上位層の併願戦略は、2月1日に御三家のどこか、2月2日に滑り止め(神奈川に通える場合は栄光か聖光もあり)、2月3日に抽選に通れば国立、一つも通らなければ慶應普通部、という感じで、直前まで不確定とならざるを得なかった。そうすると国立中学の過去問をやるのもちょっと力が入らなかったと思う。何せ抽選で落ちたら全く意味がなくなってしまうのだから当然だ。

 

今は少子化により昔ほど受験生が集まらないので、国立で抽選が実施されるところはない。また、都立中高一貫もでき、また共学の進学校では渋渋や渋幕なども台頭したので、共学志望者の選択肢も増えた。従って、上位層では、2月3日に筑駒を受験するか、安全策でいくか、という悩みはあるものの、昔のようなそもそも受験できるかわからないという問題はなくなった。

 

11 各中学の難易度

 

これは色々なところで語られているが、ついでなので簡単に。

 

自分の中学受験時代と、今の各中学の難易度の違いには驚くことが多い。自分の頃の合格偏差値のデータなどは手元にないのだが、自分の中で四谷大塚の指標などから超難関校と思っていた学校は以下のとおり(首都圏のみ)。

 

筑駒、開成、麻布、武蔵、栄光、慶應普通部、慶應中等部

 

多くは今も難関校だが、武蔵、栄光、慶應二校は今に比べるともっとずっと難関だった。

 

今では御三家の中では開成が筆頭というポジションだが、私の頃は御三家の難易度は横並びで、校風や場所、入試問題との相性が主な選択の要素だったと思う。

 

栄光は神奈川の不動の一番手で、難易度は御三家に並ぶかやや上回るくらいだった。

 

慶應の二校も当時は御三家に並ぶくらいの難易度だった。先述したが、特に私の時代は慶應普通部の受験日が2月3日で、その日は他に最難関と言える学校は国立のみだったので、抽選に落ちた最優秀層を集めていたのではないかと思う。また、慶應中等部は2月4日で、受験科目がイレギュラーなものの日程的に競合もおらず、やはり最優秀層を集めていたのだろう。もちろん慶應を第一志望にしている最優秀層も大勢いた筈だ。

 

また、上記の学校以外にも、例えば先に挙げた筑附、学芸大附属四校や桐朋、巣鴨などは、今はだいぶ易しくなっているなと感じた。

 

首都圏以外でいえば灘とラサールは最難関だった(灘は今でもそうだが)。かつてラサールといえば、やはり御三家レベルかそれを超えるくらいの難易度だったように思う。かつては鹿児島や九州以外からも生徒を集められていたのだろうが、少子化と学校選択の多様化で、かつてほど生徒が集まらなくなり、難易度が下がったということなのだろう。

 

逆に今超難関校だと知ってびっくりしたのは以下の学校。

 

渋幕、渋渋、聖光

 

渋渋はそもそも私の中学受験時代にはまだなかった筈なので知る由もないが、聖光が栄光を偏差値で逆転しているというのはかなり衝撃的だった。聖光はずっと神奈川の2番手というイメージが定着していたが、今では栄光を突き放している。

 

 

長い年月が経てば栄枯盛衰があるのは当然だが、昔の感覚のままではいけないなと思ったものである。とはいえ、自分が中学受験を経験していると、ついつい昔のイメージに引っ張られてしまうこともある。自分の時代に最難関だった武蔵や栄光の印象はやはり強烈で、これが昔に比べて入りやすいとなると、なんかお得な気がするから検討しようか、とつい思ってしまう。例えば、今ではサピックスの偏差値で並んでいる武蔵と海城だが、イメージだけでいえばそれだったら武蔵でしょ、となりやすい。同じようなことを思う保護者も多いはずで、最近武蔵の難易度は回復傾向にあるようだが、親世代に定着した最難関というブランドが寄与している面も多分にあるのではないだろうか。

 

以上でこのシリーズは終わりとしたい。また何か思い出したら書こうと思う。

 

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