2021.2.5
最愛の夫、よーちゃんが突然死しました。
享年40歳。。

31歳になったばかりの私と
1歳になったばかりの娘。

置いていかないでよ。


あんなに不妊治療頑張ったのに。

よーちゃんが建てたおうちだって
半年しか住んでないよ。

娘がやっと「パパ!」って言えるよーに
なったばかりだったのに。

2人目が欲しいって
打ち明けてくれたから
治療再開して
3月に凍結胚戻す事が決まったから
頑張って薬飲んでたのに。

どうして。

車だって1年しか乗ってないよ。

さあこれから人生楽しむぞ!
コロナ終わったらたくさん出かけよ!
ってお金貯めたのに
葬儀に使うとは思わなかった。


辛い。悲しい。寂しい。


1回目の結婚、子供ができない女って
そこまで酷い目に遭うと思わなかった。


2回目の結婚。喧嘩もなく
私はもういつ死んでも幸せだと
毎日私は思っていた。
続くと思ってた。

よーちゃんのおじいちゃんになった姿
横で見たかった。


しわしわになったねって
笑い合いたかったし
そうなると思い込んでた。


どんな時でも優しくて
柔らかい雰囲気で
必ず毎日頭を撫でてくれる。
毎日可愛いとか好きって
言ってくれてた。

仕事終わってから
寄り道なんてしたことない。

まっすぐ帰ってきて
「ご飯なに?」って笑顔で
聞いてくるのが当たり前だった。


よーちゃんの食べたいものを
たくさん覚えて、たくさん作った。


絶対「これもこれも美味しい」って
必ず言ってくれてた。


よーちゃんがご飯食べたら
横になってテレビ見てるから
洗い物が終わったら
その隣で横になるのが習慣だった。


プロポーズはなかった。
初めてよーちゃんパパママに
会った時に
「結婚しようと思ってるゆいだよ」
って紹介してくれた。


よーちゃんらしい精一杯のプロポーズ
だったんだよね、


一見とっつきにくいように見えるけど
色んな人にとんでもなく
愛情を与えてくれる人だった。


娘が夜泣きしたとき
よーちゃんを起こさないように
座ってすぐ授乳してた。
そしたら必ずよーちゃんは
「俺によっかかって」って
背もたれになってくれた。


娘が生まれた瞬間は
すごい泣いてた。

陣痛中一度も手を休めず
さすってくれた。


私はこの手も大好きだった。

男の人なのに
信じられないくらい
字が綺麗だったし
電気工事士だったからか
とても手が器用だった。

よく働いた手だった。


冷たくなったよーちゃんは
今にも起きそうだったけど
起きてくれなかった。


私は可愛い寝顔を見るのが
だったけどすごい悲しかった。

もう2度と話せない、
抱きしめてもらえない、
笑ってくれない、
手も繋げない、
よーちゃんのあったかい体温すら
感じられない。


声が聞きたい。
時間が経つと
忘れちゃうなんて
怖くて仕方ない。


どんな人より
幸せだった自信がある。

でも今は


まだまだ時間がかかる。
忘れたくない



大好きだよよーちゃん
早く会いたい
どうしたらいいのかわかんない

喪主も務めた。
死んだ事は理解してる。
もういないのはわかってる。

でもまだ会えないのを
我慢してるだけのような
気もしてる。


会いたい。
3年半しか一緒にいれなかった。


よーちゃんは今絶対悲しんでる。
目に浮かぶ。


ごめんねって言ってる気がして
悲しい。


私の方こそごめんねなのに。


誰か助けてと思う反面、
ほっといてほしい気持ちも。

亡くなってまだ半月。

私は寿命まで生きるならば
あと50年以上悲しむの?

50年以上会えないの?

仕事すれば紛れる、
子供といれば紛れる、

でも根本的には
取り払えない悲しさが
一生付き纏うのか。


生きなきゃいけないのは
本当にわかってる。

でも死ぬのが怖くない。

会える気がして。



もうちょっと落ち着いたら
また書くことにしよう。


とりあえず49日終わるまで
これはもう見ない。