新年号が発表され
平成も残すところあと1ヶ月の頃



テレビでは連日
平成最後平成最後



日本は平和でいいな
と他人事のように見ていました





そんな中

夫の借金発覚以降
夫婦関係は完全に終わっていますが
(というか私が一方的に夫拒否)
二人目が欲しかった私



夫も子供は二人欲しいという考えで
二人とも結婚前から思いは同じでしたが


今は借金を抱える身
しかも先行きが全く見えない現状



でも夫は今年で40歳
私も34歳というけして若くない年齢になります


年も若くない
子供の学費の事も考えて2歳差できょうだいを


という希望は捨てきれず
妊活を決めました



娘の妊娠中は体の事を考えて
発覚以降ももちろんそういう事は一切なく


信用も甲斐性もないクソ夫と
また妊活



娘がなかなか出来なかった為
どうやって頑張ろう…

好きの感情がない今
頑張れるのか…と悩みましたが



とりあえず出来る事からと
病院に行って検査して
基礎体温と検査薬を駆使して





まさかの二発で妊娠しました





欲しくて望んだ赤ちゃん
嬉しかったけど少し戸惑った



今こんな状況で大丈夫だろうか
しっかり育てられるだろうか



でもくそ夫の収入がなくても
くそ夫のくそ借金を払いながら
私は一人でしっかり娘を育ててきた



きっと大丈夫
なんとかなる
なんとかする



その反面
あまりにすぐに妊娠出来た事も
少し気がかりだった



こんなに簡単に妊娠して大丈夫なのだろうか



普通に妊娠する人からしてみれば
そんな事考えないと思うのですが


不妊とまではいかなくても
出来にくいと分かってる身からすれば


短期間での妊娠は
喜びと同じくらい不安に陥る



しかしその不安をかき消すかのように
妊娠超初期から凄まじいつわりに襲われた



娘には申し訳ないほど
育児が出来ずずっと寝ている日々


相変わらず
夫は深夜帰宅休み皆無のワンオペ


 


自分のごはんはもちろん
娘のごはんもままならず
野菜をレンチンして食べさせるので精一杯



お出かけも午前はずっと寝ていて
午後に近くの児童館にほんの数時間




それでも娘は手抜きごはんをもりもり食べ
児童館を目一杯満喫

夜も9時には寝て
朝8時まで起きる事なく爆睡



私が具合悪くて寝ていると
時々そばに来ては体を擦ってくれた



どこまで手のかからない
そして優しい子なのか…



我が子ながら
娘のお利口具合に涙が出ました



一方でお腹の子は
つわりも酷かったけど
同時に微量ながらずっと出血が続いていて
腹痛もあった



妊娠が毎回同じじゃないのは分かっているけど
娘の時は出血も一度もなく
お腹が痛くなった事もなかった



また少し不安になり
重いつわりだけが支えになっていました



心拍確認がとれて母子手帳
という検査の日



心拍確認がとれず
当然母子手帳ももらえませんでした



一気に血の気が引く



お医者さんには
来週また診せてねと言われたけど

もう覚悟をしなければならないかもしれない
と思った





翌週
心拍確認出来ず
稽留流産となりました










流産









覚悟していたとはいえ
はっきり現実を突きつけられると
堪えた



病院では私が二人目を強く望んでいた事を
知っているのでかける言葉が無い感じで
気を使わせて申し訳なくて
とにかく泣かないように努めた

診断を聞いた夫は隣で泣いていた





流産手術は想像以上にしんどかった

正確には手術前の子宮に穴を空ける処置が
精神的にも肉体的にもきつかった



出産は喜びの痛みだから希望しかないけど
流産は悲しみの痛みだから絶望でしかない



そんなこんなで私の平成最後の大仕事は
流産手術で終わった



出産予定日は娘が2歳の誕生日の頃
ちょうど2歳差きょうだい


今年はダブルでハッピーバースデーだなと
ぼんやり幸せを描いた矢先の事でした